津波警報が出ていない?、気象庁は国民を殺す気か! [防災]


ふざけるのもいい加減にしろ!!。

なにぃ、地震の規模から「過去の事例では」津波が発生するとは思いませんでしただぁ。

バカモン!、責任者出て来い!、ぶちのめしてくれるワイ!。

僕はこのブログで、何度か津波警報が出て、実際被害が出ていないと、今度「本番」が来たとき、「オオカミ少年」になってしまい、発令に従わない人が出てくることを警告したが、その警報を出すほうの気象庁自体が「このくらいなら津波は来ないだろう」と警報を出さなかったとは、呆れた!、絶対に許し難い。

担当者や責任者は万死に値する。

挙句の果てに「今後の津波予測の参考になる事例だと思っています」などといけしゃぁしゃぁとコメントを出すところなんかは、さすがこのぐらい「人事」のように無責任ぶりを発揮しないとやっていけないほどいい加減な組織なんだと言う事がはっきりとわかった。

皆さん、我々の安全を預かる気象庁とは、この程度の存在なんですよ。如何に自分の安全を無責任な行政にゆだねるのが命知らずな事であると言う事が解って頂けましたか?。

何せこいつら、我々の貴重な税金を食い物にしている連中なんですよ。

納税者として、ドンドン文句を言っておかなければ成らないんじゃないんでしょうかね。


呆れた話!、中越沖地震で断層のずれ方が今だ解らない? [防災]


陥没する道路、うねる鉄道路線、縦横に走る地面の亀裂。

中越沖地震の現地の映像は、改めて巨大地震の恐ろしさを見せ付けてくれる。

そんな中で、例の原発の敷地で地面が割れて断層になっているのをニュースで見て「あれ?」と思った。

気象庁などの「地震の専門家」たちの話では、たしか今回の中越沖地震は、断層の陸側の地面が競りあがる、「逆断層」によって引き起こされたのが、観測されたデータから読み取れて、理論的にも合致すると言う話をしていたようで、僕もそう理解していた。

ところが、震源付近である柏崎刈羽原発の実際に写っている亀裂の映像を見ると、どう見ても「海側が競り上がっている」様にしか見えないので、変だなと思っていた。

ところが今度は国土地理院が周辺に設置されているGPSを使ったシステムのデータを下に分析した結果、なんと断層は海側の方が競りあがっているという結果が出たそうである。

こりゃいったいどういうことだろうか?。本当はどちらが正しいのだろうか。

このブログを書いている現時点ではどちらが正しいかは判別し難いが、僕個人としての意見では、国土地理院の発表の方が正しいような気がしている。

GPS、つまり人工衛星を使って現在位置を測定する測量システムを使い計測されたデータから、単純に計算して出された結果なら、機器の故障や、計算ミスさえなく、「何らかに意思入れ」をしていなければ、その観測データの結果は、現実の地殻の変化を表している物に過ぎず、「発表したとおり」海側が競りあがったと言う事になる。

また、報道で流された映像の様子とも符号している。

ところが「地震の専門家」のコメントは「今回の地震は陸地側が競りあがった逆断層で有れば「理論的」に合致する」ときた。

そこで問いたいのだが、本当にその「地震の専門家」たちは、即座に現地に入って、現状の様子を両の眼でしっかり見てきて、そう断言しているのだろうか?。見~た~ん~か~!。

素人考えで、断層がどの様にずれたかと言う話は、「理論」云々ではなく、それこそ現地の様子を航空写真を取るなり、現地に入って徹底的に観測するなりすれば、正確な「数値」はともかく、どの方向にずれたかと言う事は3日もあればわかることなのではないか?。

これでもし国土地理院の観測結果の通りだったとしたら、気象庁や地震の専門家と称する「偉い先生達」の理論や、やっていることは「大間抜け」としか言いようがなくなってしまわないだろうか。

日本はいわずと知れた地震大国で、日本の地震研究は「優秀」とされてきたが、本当にそうなのだろうか?。

また、国民の生活と安全を守るために、貴重な税金から莫大な予算が地震対策のため気象庁や、例えば東大地震研究所などにつぎ込まれているが、本当に役に立っているのだろうか?

それこそ専門化が挙って否定して嘲笑している。「空が赤くなると地震が来る」「なまずが騒ぐと地震が来る」などの、古来からの言い伝えや、地震前兆現象の研究の方が効果があるのなら、「コストパフォーマンスが高い確実な地震予知」の方法として、真剣に研究した方が良いと言う話になってしまう。

是非そうならないように、今回の話は「地震の専門家」の説が正しかったと言うようになると良いですね。

まあ、そう成らない場合でも、彼らの明晰な頭脳は、「優れた言い訳」を考え出すためにフル回転して、我々素人を煙に撒くくらい朝飯前で、その才能で国庫から莫大な予算をせしめてきたのだから、多分痛くも痒くも無いんだろケドネ。


震災級の地震に対して、身を守るのは自分だ [防災]


今回の新潟中越沖地震の報道を見ていて不思議に思ったことがあった。

それは、この地域はたった3年前に「中越地震」で震度6弱の地震にあっていて、恐らく身近な人達に犠牲者や甚大な被害を受けた人達を見ていたのにもかかわらず、例えば家具の転倒防止や、非常用の飲料水や食料などの用意などを、地元住民が積極的に行っていたとは思えないフシがあるからだ。

何処の家も家財道具が産しており、家具や投下物による負傷者も多く、避難所に集まった人達は、今飲む水さえ事欠いている映像が多く見られた。

これは現地に調査に入った地震関係の専門家も指摘していた事で、僕からすれば信じられないことだ。

規模は桁外れだが、阪神大震災で被災した人達や、その地域の人達などは、それまでの「関西には大きい地震は来ない」というのんびりとした考え方から、地震や防災に対して真剣に取り組む人が多く見られた。

確かに柏崎市付近は前の中越地震で、例えば山古志村などのように壊滅的な被害は無かったのかもしれないので、教訓が残らなかったのか、「あんな大きい地震はもう二度と起きないだろう」という油断があったのかもしれないが、お気の毒とはいえ、その結果は身をもって受け止めなければならなくなってしまった。

日本において、如何なる地域においても、絶対に地震の被害を受けないと言う保証は無く、その恐怖に怯えて被害妄想になって日常生活に支障をきたす必要は無いが、最低限の防災の備えは、一人一人が考えて実行していかなければ成らないだろう。

最低限でも居住家屋が倒潰しないような建て方や補強、3日分の飲料水、生活用水、食料などの準備、着替えや常備薬、ラジオ、お金などの持ち出し用品は備えて欲しい。

誰の為でもない、自分や自分の家族の為だと言う事を、真剣に考えて欲しい。


地震国家日本に安全な原発は無い [防災]


とうとう、不安が現実化しそうな状況になっている。

地震大国のこの日本で、津波被害も含めて「安定して絶対大地震が無い海岸」なんてものが無いのではないのか?、という感想を持っていた。

また、「この施設は絶対に壊れません」なんていう電力会社の言い分も、明らかに「戯言」であるという認識もあった。

実際本当に震災級の地震があって、その震源の近くに原子力発電所があった場合、「こいつはとっても危険だな」という感じを持っていても、具体的に「事例があった」わけではないので、それがどのような災害になるのか見当も付かなかった。

今回の、新潟中越沖地震(仮称)で、それこそ震源のすぐ近くに有った東京電力、柏崎刈羽原子力発電所が、M6.8の地震の被害にあったわけだが、幸い今のところ原子炉本体の圧力容器や一次冷却水の設備には重大な被害はなく、致命的な放射能漏れはないということになっているが、核燃料を保存しておくプールの水が漏れ出して、一部が海に流れ出したり、放射性廃棄物を詰めたドラム缶が倒れてふたが外れたり、施設全体で35箇所の支障が見つかったりと、とても疑わしい状態になっている。

また、設備に関しても「現時点では」大丈夫であったとしても、ダメージを受けたことには変わりは無く、しかも想定していた2.5倍の振動を受けていたことが解っているのだから、果たして本当に今後も定常運転を続けても問題が無いのか、そもそも「そんな弱い耐震基準」で建設された原子力発電所を稼動させ続けてよいのかということに関しては、慎重に調査をしてもらい、安易な答えを出して再稼動すべきではない。

また、付帯設備である変電機に被害があり、火災が発生したことは重大な問題として受け取るべき問題だろう。

これが、もっと大きい火災が起きて、原子炉本体や、一次冷却水の設備にダメージを与えていたらと考えると背筋が寒くなる。

この件に関しては国内より外国のメディアや要人が深刻に受け止めているそうで、今後の日本に対する各種評価や外交にも影響を与えかねない問題であると言う事も知って欲しい。

また政府や電力会社は、原子力発電所は地震に対して絶対安全などということは有り得ないという前提で、尚かつ、それでも「絶対に放射能汚染の起こさない」不退転の決意で関係者は事に当たってほしい。

それにしても何故だか日本の原子力発電所は、規模の大きな地震が発生しやすい場所にあることが多い。

有名なのは、東海地震の震源域の近くにある、静岡県の浜岡原発や、三陸沖地震減の近くにある宮城県の女川原発、茨城県の東海村原子力研究所付近も、水戸市沖合いは活発な地震の震源域だ。

その上、設計上の耐震力が不足しているとか、中性子被爆で原子炉の圧力容器がボロボロで、規定の振動に耐えられないとか、じつは活断層が近くにあるのに調査が不十分(意図的隠蔽?)だとかの話が聞こえてくるのだから、これで「安全です」なんてRPを受けたところで鵜呑みに出来るほどお人好しには成れない。

地震そのものは「その一瞬」を凌ぐ事が出来れば、乱暴な話「命を落とす」危険性はは低く、あとは大変だろうけども何とかなる。

だがこれが、全力運転稼動中の原子炉が、重大事故を起こして原子炉本体が被害を受けるような事故を起こした場合、膨大な数の被害者と、広域に、しかも気の長くなるような長期間にわたり「放射能汚染」の恐怖に怯えて、苦しめられなければならないのだ。

現在一番危険な状態にあると言われている静岡県の「浜岡原発」が、東海地震で破壊された場合、中部地方は壊滅的な放射能被害を受け、日本の経済の大動脈が寸断されてしまう「国家の存亡にかかわる」一大事になってしまうのだ。

しかし、行政や電力会社もそうだが「そうなったらどうする?」という本気の想定をしている組織は表向きにはほとんど無いだろうし、有ったとしても「反原発」を恐れて口をつぐんでいる。

また個人レベルであっても、地震ですら「俺だけは絶対に被害を受けない」という根拠の無い楽観論で、頭を麻痺させて日常生活を送っているくらいなのだから、そこに「放射能汚染が発生します」と聞いて、風向きや天候の把握や、ヨウ素剤の用意などをして、避難するような気の利いた人は極少数派だろうし、安全が確認できるまではシェルターに避難して篭り、放射能防御服を用意しているような民間人は皆無であろう。

ではそうなってしまった場合、我々は放射能汚染の恐怖に対して座して死を待つしか手立てが無いのだろうか、明日への希望は無いのだろうか(ヤマトに出てくる西暦2199年の地球のようだな)。

こうなったら「危ない」ところにある原子力発電所をすべて撤廃すること以外、震災による原発の事故を防ぐ術は無いだろう。

もはや原子力発電所が震災に対して絶対安全であるという保証は無く、日本国民の生命を守るためには、如何なるリスクを払おうとも断固撤廃を進めなければ成らないはずだ。

だが、原子炉の安全な廃棄というのは非常に厄介で、ただ単純に停止しただけでは原子炉の核反応は止まっておらず、反応物質である放射線物質も大量に抱えているので不完全であり、それこそ原子炉全体を「コンクリート詰め」にして、核反応が収まるのを待ち、核廃棄物を安全化して安定した近くの地下に埋設しなければならないという、気の遠くなる手間と時間とコストがかかるものなのだ。

一説にはこの問題が事実上現在では解決不能で、ひたすら先送りして責任逃れをしようとして、原子炉の「耐用年数」を科学的な根拠もなく勝手に延長して稼動し続けているという話も有るくらいなのだ。

また全国の発電量の30%を占める原発を相当数停止させるということは、その分を発電する手段が無ければ電力の供給規制を実施するしかなく、国民の生活や経済に深刻なダメージを与えてしまうことは明らかだ。

だが、如何なる手段を用いても「選挙」で当選してこそ勢力を誇れる政治家は、国民に対して明らかにある程度の「我慢」を強いる政策を取る事は無いだろう。その結果がどんなに「悲惨な物」であってもだ。

また、原発を稼動し続け、原子力関連技術を維持し、使用済み核燃料の中の「プルトニウム239」の保有量を増やしていく事は、「潜在的核兵器保有国」という国際的な肩書きが欲しい為であり、また将来の「核兵器武装国家」への選択を残す為であるという一面があり、現在の日本の指導政治勢力の人間にとって、「日本が壊滅してしまう」という彼らにとってはリアリティのない恐怖より、核保有国として、世界の支配側の国家への誘惑の方が大きいと言う情け無い現実もある。

これでは本当に「座して死を待つ」事になってしまう。

この恐ろしい事実に気が付いた国民は、声を出し続ける事で、より多くの人達の「声」で、為政者に圧力をかけ続けなければ成らないだろう。どんなに歯がゆくともそれしか方法が無いのかもしれない。

核兵器も含めて、原子力はまさに「パンドラの箱」を開けてしまったようなもので、こんな「厄介なもの」が温暖化防止の切り札としてもてはやされ、世界中で開発や整備が再開されつつあるというのも救いようの無い話だ。

数多の厄災が飛び出した後のパンドラの箱には「希望」が残されていたそうだが、我々人類には「核兵器、原子力の完全廃棄」の「勇気」や、「核兵器の保持の規制や、原子力エネルギーの制御」の「英知」という名の「希望」が残されていることを祈るのみである。


貴方の住んでいる場所は大丈夫?。災害で危険な場所は [防災]


ようやく台風4号(マンニィ)は離れてくれたようだ。

しかしどう見ても、秋の台風の進路だよね?。やはり「異常」なんだろうな。

今回の台風に限らず、最近の日本は雨の振り方が変わってしまったようだ。

梅雨時期など「しとしと」「じめじめ」降っていたような気がする。

四季で一年の気候の変動が大きく、空模様の表情が豊かな日本は、「雨」一つとってもいろいろな降り方があり、それぞれの名前がある。

「春雨」「霧雨」「村雨」「夕立」など(趣味が・・・)色々な表現がある。

だがこのところの雨は、振る降らないがハッキリしていて、まるで南国の「スコール」のようだ。

このような短時間で大量の雨が振ると、河川が大量の水を飲み込めなるため、氾濫しやすくなり、また、地盤が緩みがけ崩れが起きやすい。

古い集落や街道町など、何百年もまえから人が住んでいるところは、必然として、自然災害を受け難い場所に作られていたので、被害にあわないことが多いが、田んぼや畑や丘陵地などを切り開いた、いわいる「新興住宅地」にはそのような「歴史的」保障は無い。

それどころか、「沼地」や「崖地」なども、過去の経緯を無視して造成されていった挙句、「人が住んではいけない」、「人が住んでいたが、過去に甚大な被害があって住まなくなった」場所に、夢のマイホームが立ち並んでしまっていると言う恐ろしい現実があるのだ。

本当は「地名」を見ると、そこの土地の「成り立ち」がわかることがある。地名に「川」「沼」「泉」「溜り」などの文字があれば、そのような土地であった場合が多く。「山」「谷」「流」「崩」などの文字があれば、例えば谷底だったり、過去にがけ崩れが有ったりしている。

東京の「渋谷」は、本当に「谷」であったようで、雨が振ると、水が流れ込んできて溜まり易いそうだ。

また近くの神社にヒントがある場合がある。

「雷」「辰」「竜」「蛇」「風」「水」「雨」などの自然現象が入っている神社は、過去に有った自然災害を治めるため「建立」された神社である可能性が高い。

もし上記の土地に住んでいる人は、もう一度自分の住んでいる街や周辺の、過去に有った自然災害を調べてみる事をお勧めする、地元の図書館などで「古地図」や「郷土史」などを調べると、あまり知られていない、又は伝わっていなかった過去の意外な災害の実態が解るかもしれない。

ただ、最近は、西欧的な幾何学的な無味乾燥とした都市計画で、なんても平らに造成して、碁盤の目のように土地を切り刻んでしまい、挙句の果てに、その町の歴史を無視した、センスの無い地名を勝手につけてしまうことがあまりに多く、地形や地名だけでは判別が付かない場合もある。

「ひばりが丘」とか「グリーンタウン」とか「富士見○○」とか「さくら△△」とか、耳障りの良い名前に勝手にしやがって、「それじゃなんだかわからんワイ」と一人で激怒している(笑)。

そういう場合、土地の「登記簿」を、地元の法務局で閲覧すれば、今は生意気な地名で有っても、「字」が付く旧地名が残っているので、その字にその土地の云われが残されている事がある。

という話を知人にしたら「俺が家を立てる前にしてくれよ、遅いわ!」と首を絞められた(笑)。

そう、「ああ俺はもしかしたら危険な場所に住居を構えてしまったんだな」と解ってがっかりしても、気の遠くなるような「住宅ローン」を抱えているのだから、今更家と土地を抱えて逃げ出すわけには行かない。

ではどうするのか?。

そうです、「人間」だけでも、直ちに逃げ出せばよいのです。

今まで災害に有った経験が無い人は「自分だけは災害で被害に合うことは無い」という根拠の無い自信を持ってしまっているが、で有るがゆえ、災害に対して初動が遅れ、気が付いたときには被害に巻き込まれていたりして、油断していた、又は想定すらしていなかったが為、物的、精神的なダメージが大きい。

これが、「いつ災害にあっても不思議ではない」という心がけと、装備、資金的や災害保険などの復興の準備を備えておき、「危ない!」と感じた場合直ちに避難する思いっきりのよさがあれば、損害は最小限に抑える事が出来る、とりあえず「死ぬ」ような事は無いはずだし、立ち直れる。

アメリカでは、有名な「トルネード」で、どんなに家を頑丈にしても、結局は「根こそぎ」破壊されてしまうので、「発想の転換」で、家や家財道具は諦めるとしても、自分達の安全と重要な財産を確保する為、頑丈な「地下シェルター」を庭先に作り、さっさと避難してしまうという家庭が多いそうだ。

まあ、せっかく築いた財産や家に愛着や執着があることは当然のことなのだが、死んでしまっては元も子もないだろう。

まずは自分が、自分の家族や仲間たちが「生き残る」事が重要な事だ、生き残れれば何とか成る。

そして生き残る為には、今までのように「人任せでのんびり」構えていては、「明日をも知れぬ」事になってしまっているのが現実なのだ。


異常気象は聞き飽きた!、現状を見据えた気象予報を [防災]


「今年はラニーニャ減少が続くので、例年より熱い異常気象になるでしょう」だと!。

もー聞き飽きたよおじさんは。

あのさ、こう年がら年中「異常」な気象が続いていると、もう何が異常だかわからなくなるよね。

いい加減に「例年だとこの時期はこうなるはずだから」と言うような話で、「だろう」程度の予報をしてもらうのは勘弁して欲しい。

いま身の回りで、日本の周りで、世界中でいったい何が起きていて、どの様な気象状況になっていて、それらの因果関係からきちんとした観測と科学的根拠に基づいて、「現実的な」天気予報をしてほしいんだよね。

「そんなこと、オノレに言われんとちゃんとやっているワイ」と言い返してくるだろうけど、本当にそうかな?。

これをすべて「地球温暖化」のせいにするほど、ヒステリックな環境保護主義者のような事は言いたくは無いが、「それ」も含めて、過去人類が経験し得なかった(科学的な気象観測の歴史と言う意味で)気象変動の渦中にいることは間違いが無いことだとは思いませんか?。

であれば、「例年」という表現を用いて四六時中「異常です」という話は説得力が無いよね。


今年の台風は二個だけ、これって変なの? [防災]


特に目的があってではないが、民間のお天気サイトで台風の項目を覗いたら、今年は2個しか発生していない上に、まったく日本列島に接近していない。

これって少なくないのだろうか?。

調べると平年で(この言い方も嫌いなんだが)6月ぐらいまでは平均5個程度は発生している。ついでに空梅雨と呼ばれる今年だが、台風の発生数と関係が有るのかなと思ったが、単純な発生数では因果関係は見られなかった。

ちなみ平成10年は6月まで1個も発生していなかった。その頃の天気は・・・・・覚えていないなぁ。

だけど台風が発生し難い、又は日本に接近してこない「理由」があるはずだよね。

まあ自分でネットを引っ張り出してあちこち見たけど「該当する項目はなし」といった所で、素人の限界だね。

夏休みの(チョッと早いな)自由研究を装って、気象庁に問い合わせたら親切に教えてくれるかしら?。

これで来月や再来月も発生数が少ないようだと、素人考えで「何か」有りそうな気がしている。

これ気象の本職の人が見たら大笑いされそうな話だね(笑)。


もう笑っちゃう!、梅雨予報も外した気象庁、「気象学」に落とし穴は無いのか?。 [防災]


ここまで来るとお気の毒としか言いようが無い。

暖冬や、さくらの開花宣言のミスに続いて、今度は入梅宣言をしたとたんに夏のような晴天が続きそうだと言う有様で、あれだけ頭の良い人達が、最新のシステムや理論を駆使しながらも、こうも外しまくっている事に関して、いったい何が原因なのだか詳しく聞いてみたい。

ボランティアで行っているのなら文句も言いようが無いが、卑しくも国民の税金を使って行っており、経済活動や人命にも影響を及ぼすと言うのに、「相手がお天気だから外れてもしょうがないですね」では済まない!。

天気予報や報道などを見て、いつも疑問に思うのだが、「この時期になると例年では」とか「今年はジェット気流の方向の影響で」とか、経験則や実測の結果としてのコメントは良く聞くのだが、梅雨に関して言えば、「では何故太平洋億気圧の勢力が弱いのか」、「何故ジェット気流が蛇行して寒気が流入しやすく成っているのか」という「根本的原因」の推測すら出てくる気配が無い。

現状の天気図を見て「結果こうなりました」と言うのでは「予報」とは言わないのではないか?

少なくとも、広範囲での地表や高空のデータや海水温のデータなど、現在「認知」されている気象学の「理論」を高性能のコンピューターにかけて予想をしていながら、その予想が芳しく無い理由は以下の事が考えられる。

1、データのマトリクスが荒い、又は精度が低く、誤差を生んでしまう。

2、コンピューターの性能が悪い

3、計算のための「理論」のソフトに過ちがあるか、重要なファクターが欠落している。

などがある。

「1」に関して言えば、確か30年以上前の子供の頃に読んだ気象の書物には、「データのマトリクスを細分化して精度を上げれば、予報制度は画期的に向上する」と言うような内容が書かれていたが、30年前かr比べて予報精度が画期的に上がったと言う話は聞かない。

ただし、全地球規模で言えば、観測網が整備されているところの方が「圧倒的に少ない」のは事実で、発展途上国の陸地や、海洋など、観測が不十分なエリアの影響があることは否定しない。

「2」に関しては、専門的なことは判らないが、気象庁が「パソコン」レベルのPCを使っているわけではないのだろうから、相応の能力のコンピューターを使用しているはずで、計算速度やデータ処理量に問題があるとは思えない。

となると「3」の内容に何らかの問題があるように僕は思える。

偉い学者や大学機関の人間が信じている、あるいは信じようとしているほど、人間は「気象」についてのメカニズムを解明しているとは思えない。

気象を「科学」しようとするとき、影響を与える「重大なファクター」を見落としてはいないだろうか?。

天気と言うくらいだから、その観測は主に「空」であり、天気図とはそのような物になっているが、その「空」自体は「地球」という土台の上に乗っかっているものである以上、「地」の影響と言う物もかなり関係してくるのではないだろうか。

無論地形や、地質、植生などの影響は現在でも理解されているが、地球自体が「生きている」惑星で、活発な内部活動により、地表は常に巨大な力を受けており、マクロ的に見れば、人間の皮膚のように地表全体が波を打ったり熱を発していたり、場合によっては広域に電磁波や磁力を発生している事を考えれば、それが「空」に影響を与えないと考える事の方が不自然では無いだろうか。

無論この話は「科学的」で無いことは、承知の上で展開している。立証する裏づけや再現性の確固たる根拠を僕自身が持っていないからだ。

だが、今後「温暖化」など、人類の矮小な歴史では経験の無いような気性変動が発生する事が予想され、それにより現代文明が相当のダメージを受ける事を考えるのであれば、過去の経緯に固執することなく、あらゆる可能性を真剣に検証して行く必要が有るのでは無いだろうか。

僕の人生の余命の間に何が起きるかはともかく、人類の「種」として未来に対して「座して死を待つ」様なことが無いように、出来る範囲で、出来ることはしておきたいと、またして欲しいと思う。


満月の夜は気をつけろ、人も死ぬし地震もおきる [防災]


別にオカルト的な話をしようというわけではない。

今日は満月だが、先ほどから2時間以内で4台の救急車が家の横の狭い路地を通り過ぎた。

満月の夜は、西洋的には怪物が夜な夜な現れて、美女を襲うシチュエーションだ。

別に月の光には怪しい力が有るわけでは無いだろうが、満月の日に、事故が起きたり、病気だった人がたまたま死んだと言うことが多く、「経験」として「厄災」と繋がったのだろう。

実際交通事故など、満月の日に多いと言う統計があるそうだ。

自然災害である地震も、何故か満月(新月)の日に多く発生するようで、これはちゃんと統計上確認されている事だ。

地球の月は、地球の大きさの惑星としては不釣合いなほどに「大きな」衛星だそうで、海で言えば潮の満ち引きを発生させるだけの影響力があるのだから、その重力の干渉は、地殻や、生物の生理機能にも影響を与えても不思議ではないのだろう。

これをして必要以上怖がることは無いし、頭から否定してムキになる理由も無かろう。

「こういうことがあるんだ」と言う程度でも良いので、頭の片隅に入れておけば役に立つ事もあるだろう。


手軽にアウトドア、でも自然は危険でいっぱい! [防災]


我々の住んでいる環境は、意識せずともいろいろな物から守られていて、ある程度の安全が保障されている。まあ、最近はかなり怪しくなってきたことも事実だが。

長年そんな中で生活していると、危険に関しての認識が薄れてくるようだ。

特に根拠も無いのに「自分は危ない目にあうことは無い」と、頭から信じている、というより「危険」という物への認識が欠落してしまう。

そんな僕から言わせれば、オメデタイ人達が、気軽にアウトドアへ参加してくるのだから、何か起きないわけが無い。

今日は、近隣の公共施設の温泉に出かけたが、その周辺は、あまり高くは無いが、小高い山が連なる場所にあり、温泉そのものは山の頂にあり、近くには山の尾根沿いの自然遊歩道などがある。

その遊歩道を、どこかの団体がウォーキングを企画したのか、大勢の人達が歩いていた。

最近中高年の山岳が流行っているとの事だったが、ご多分に漏れずそういった高齢者が多く、その上気軽に参加したのだろうが、明らかに「山を歩く」装備を施していない、初心者のような一行も見受けられた。

今日は基本的に天候は良いのだが、「山の天気は変わりやすい」の例えの通り、気温や気圧が下がり(僕はそういう装備を携帯している)にわかに雲が黒く固まってきて、「ああ、これは雷が来るな」と思った直後、雷鳴がとどろき出した。

僕は既に温泉の施設に入っていたが、目の前を通り過ぎる中年の夫婦がいたので、「この天候で尾根沿いの遊歩道を歩くのは自殺行為ですよ」と語りかけた。

その夫婦も危険を感じて雨宿りに施設に入ったが、その横を5人くらいの女性のグループが「先を急ぐ」と言って歩き去ってしまった。

先ほどの夫婦も止めたそうなのだが、本人達にまったく危機感は無かったそうだ。

そして数分後、そのグループが見えなくなった頃、ほぼ近距離に落雷があり、あまつさえ強烈な雷雨とともに雹まで振り出してきた。

僕自身、自分の危険を顧みてまで助けに行く義理もなかったので、そのグループがどうなったかは知らないが、生きていれば命があっただけでも不幸中の幸いであったろう。

何も、エベレストに登山したり、南極を横断したりするわけでは無いので、重装備が必要なわけではないが、たとえ近郊の山でも油断は禁物で、一歩屋外に出れば、何が起きるか判らないので、着る物や雨具、非常食、ラジオなどの装備、天候の事前情報の入手などは最低限行う事である。

更に、基礎的な気象に関する知識ぐらいは知っておくべきで、人間の管理が行き届いたテーマパークに気軽に行くような感覚で来られても迷惑この上ない。

アウトドアは、「自分の安全は自分の責任で守る」と言うのが鉄則で、これは災害時の避難活動も同様である。

アウトドアレジャーは、そういった「非日常」を経験する場でもあり、だから、楽しむ為には「安全の確保」と言う大前提が存在する。

せっかくの楽しいハイキングの思い出が、あの世の土産話にならないように、それなりの「装備」と「覚悟」を伴ってから、アウトドアを楽しんではどうだろうか。


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