自動車メーカ、生き残りたくばビジネスモデルのコペルニクス的な転換を図れ! [車]

えーと、「コペルニクス的な転換」の意味を説明するほどこのブログは親切ではないので、知りたくば自分で調べましょうねと、突き放します。
まあ、「天地がひっくり返る」ほどの事と考えれば間違いはないだろう(ホントかな?)。

先のブログで僕が自動車にまったく興味がなくなったという内容の書き込みをした。
ホント不思議な物で、物心付いてから「自動車」が無ければ夜も日も開けない様な「自動車大好き人間」だった僕が、書店の自動車雑誌コーナーをわき目も振らずに素通りしてしまう事に、自分自身が驚いている。
それほど今の自動車、特に国産車には何の商品的な魅力が無いと断言できる。

それを愚かな自動車評論家や各メーカーの経営陣は若年層特有の「異常な出来事」程度の認識しか持っていなかったことは、この業界にとってまことに不幸な事だったとしか言いようが無い。

話は簡単で、生活に必要でない物を、見せ掛けの「付加価値」をつけて、厚化粧して高い値札をつけて売りつけていたに過ぎず、今のような経済状態になれば、「高価なオモチャ」に過ぎない自動車など売れなくなって当然であると考えるべきではなかっただろうか。

国産車の悲劇は、例えば機械的に精緻に作られる「本物感」が有るドイツ車や、情感に訴えて「欲しい」と思わせる雰囲気のあるイタリアの車たちに対して、何時まで経っても「値段が安い紛い物」でしかなく、「ジャパンオリジナル」としての高付加価値を見出せなかった事であると僕は考えておる。
つまり、ベンツやBMWのような「モドキ」が安く買えますよとか、フェラーリやポルシャのような性能を安く手に入れられますよという図式からとうとう抜け出せなかったということなのだ。

かといって、生活の道具と徹した高品質な低価格車を生み出すことも出来ず、安いだけなら新興国の車に勝てないという事態に陥っていった。。

で、景気がよければそのような物であっても売れたかもしれないが、「本当に必要なの?」と考えてしまえば、お金が無いのにそのような物を買う必要が無いと判断するのは当然の成り行きだった。

僕がこのブログで何度も訴えてきたが、本当に300万円とか400万円出す価値があり、その対価に見合った満足感が得られていたかといえば「NO」だったとしかいえない。

本当にお金があり、「本物」が欲しければ良い外国車はいくらでもあり、また生活の道具としてコストプァーフォーマンスで選べばコンパクトカーや軽自動車で十分というのであれば、大半の販売ボリュームゾーンがその間にある国産車が売れなくなるのは当然という事に成る。

僕がそう思い出したのはきっかけが有った。それはホンダの「フィット」に乗ったときだ。
この車に興味があり、旅行を是幸いにと旅先でレンタカーを借りて、2日間で都市や山間部、高速道路などを800kmほど乗り回した。
そして得た結論は「この車で出来ないことは無く、不満を感じる事も無く、これ以上の車も要らない」という物だった。

確かに似非自動車評論家を気取って粗を探せばいくらでもあったのだが、この価格で売られている車と考えた場合、文句をつける理由が無かったほど優れた実用性が有り、操縦性能や動力性能も十分で、このクラス特有の「我慢する」ところが見当たらなかったのだ。
しかもデザインがしっかりしていて、変な安物感や、いじましさが無く、惨めな気持ちにならないという美点があった。

これがトヨタのカローラだとそうは行かない。
もしかすると工業製品としては、コストバリューとしてはカローラの方が優れていたかもしれないが、決定的な問題点として、そのデザインやな成り立ちに、どうしても「マークX」「クラウン」「レクサス」の影がちらついてしまい、ヒエラルキーの底辺であるという事を自覚せざるを得ず、「惨めさ」が漂ってしまうのだ。
結局フィットは大ヒットして、世の中の多くの人達がその価値を認めたという事実が、「実用車としてこれ以上の車は要らない」という警告を、マーケットから突きつけられたのだと確信した。

ところがこの車を作ったホンダ(経営陣はというべきか)でさえ、いやほとんどのメーカーがその重大な事実に気が付く事は無く、「ユーザーニーズを的確に捉えて企画しました」とペテンにかけて、実は自分達の収益を上げるための安車を、法外な値段でユーザーに押し付けてボロ儲けをしていたというのが自動車会社の実態だったのだ。

だが、この業界に身をおいていてつくづく思うのだが、メーカーの関係者、特に年配の立場のある人間ほど、この事実にまったく気が付いていないことに驚かされる。
これは自動車ジャーナリストにしても同じであり、あまりに過去の成功体験や方法論に頼りすぎていて、今時分の目の前で起きている事に対して、まったく気が付かない、理解出来ない、最悪なのは理解したくないという関係者があまりに多すぎるのだ。

車の売れ行き不振を、単に景気や為替のせいにして、責任を逃れようとしている無責任な経営者もいるくらいだから、その未来は果てしなく暗いとしか言いようが無いだろう。

今、自動車会社に求められているのは、貴重な人材をゴミクズのように切り捨てて首をすくめて生き残る事ではなく、どの様な自動車が必要とされるのか、またどの様な自動車の「楽しい生活」を提供できるのかという観点から開発された、まったく新しい概念の自動車をいち早くマーケットに送り出すことと、これが重要なのだが、従来のビジネスモデル、つまり「どのようにして収益を上げて企業を存続させていくのか」という事に関して、過去の栄光と決別して新たなビジネスモデルを作り、早急に実行していく事が必要ではないかと考える。

恐らくこれに気が付かない企業は、たとえ「トヨタ」であっても次世代には生き残る事が出来ないのではないかと僕は思っている。

それには大胆な発想と、それを実現させる為の「勇気」、そして「信念」を持ったリーダーが必要であり、株主の顔色を伺っているようなクズ経営者は即刻退場してもらいたい。

昔、ウィスキーのCMで、かの岡本太郎氏が、自分がデザインした景品のグラスをして、「グラスの底に、顔が有ったって、良いじゃないか!」という名台詞を残した。
期せずして、そのウィスキーメーカー「サントリーは」何十年も赤字を出し続けたビール部門が今年初めて黒字になり、他の大手企業が大赤字を出している中、過去最高の利益をあげたそうだ。

まさに「グラスの底に顔がある」という、コペルニクス的な、大胆な発想の転換と、目先の収益に囚われず、我慢強く、粘り強く商品やビジネスモデルを育てていく「持続性」、「執念」こそ、今の日本の自動車メーカーが見習わなければならない点ではないかと思われてならない。
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