プリウスの問題、3代目になって何故起こる? [車]


ソフトウェアの不具合、つまり「バグ出し」は気の遠くなるような手間と時間がかかるそうだ。
コンピューター関連の方な「耳タコ」の話だね。

かつて、飛行機も、70年代後半から、軍用機で「フライバイワイヤ」という、ロットやケーブルを介さない、電気信号に変換して操縦するシステムが導入された
ところが、飛行特性を制御するソフトが、想定していなかった状況で不適合を起こし、試験機が墜落する事故が良く起こってしまった。

また、独特な操縦感覚を要求するシステムなど、パイロットがその感覚になれないと、「ギクシャク」した動きを見せてしまう場合もあるらしい。

プリウスの場合が、それに該当するのかどうかはなんともいえないが、旅客機や戦闘機は、機種別にその機体特性を訓練して習熟した「特定のパイロット」でなければ操縦する事が許されないが、一般に売られている自動車はドライバーの知識や技量に制限や規定があるわけでなく「誰でも」乗ることが前提なのだから、トヨタの記者会見のように「素人感覚では、スーと行ってしまう事も有り得ます」などという話は説明になっていない!
と言うより、マスコミやユーザーをおちょくっているとしか言えない。

また、プリウスのハイブリットシステムは、基本的な部分は「初代プリウス」から大きく変わる物ではないはずで、
まったく未知のシステムならともかく、もはや3代目にもかかわらず、何故今になってこういったソフトの問題が起きてしまうんだろうか?

聞いたことはありませんが、初代や2代目ではこういったトラブルは本当に無かったんだろうか?

であれば、やはり今回のプリウスは、慎重に行われなければならない、ソフトウェアの適合性の検証やバグ出しに関わる開発の部分で、時間を短縮したか、「もう3回目なんだから大丈夫」と簡略化したと推定できないだろうか?。
その目的は一つで、「コストダウン」の一言に尽きる!。
噂では本来239万円程度はするといわれたものを、「インサイト」に対抗できる値段まで下げたのは、もちろん利益率を圧縮した上で、最終段階の仕上げの開発で、「はしょった」可能性を僕は否定できない。

トヨタが本気でユーザーのことを考えて、この問題を本当に解決しようとするなら、多くのユーザーが指摘している疑問に対して、隠したりごまかしたりせずに、真摯に対応して欲しい。
この問題は、もはやトヨタと言う一企業の問題ではなく、日本の自動車産業、しいては多くの国民の利益に関係する事だと思うからだ。

多くの人達とかかわり、世界有数の収益を上げるということは、それに見合う、比例する規模の「社会責任」を、企業自身がが果たさなければならないと言う事を、是非肝に銘じて欲しい。
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私見、妄想全開の「有るべきレガシィ」とは? [車]

新型のレガシィは、どうも既存の「スバルマニア」や、歴代のレガシィのファンから評判がよろしくない。
しかしこれは今に始まったことではなく、モデルチェンジを繰り返すたびに聞かされてきた「念仏」のような物だ。

曰く「スバルらしさが消えてしまった」云々の話は聞き飽きている。
そもそも生粋の「スバリスト」に言わせれば、OHVエンジンとトーションバーサスペンションでないといけないらしく、もうこれは「ノスタルジィ」の世界だ。気持ちは理解できるが(苦笑)。

まあ、偉そうに言わさせていただけば、今回のレガシィは、ほぼドンピシャ想像通りのモデルチェンジをしてきた。
というか、スバルには、スバルの開発陣には「これしか」道は無かったとも言える。

とにかくワールドワイドなDセグメントの車を「常識的」に作ろうとすれば、ああするしかないことは、ホンダのアコードやマツダのアテンザを見比べてみれば良く判ることだ。

だが、僕ははその「常識的」という部分で、今回のレガシィに対して批判的になりざるを得ないのだ。

スバルが雑誌で嘯いているように、欧米人の体格のユーザーが多人数ゆとりを持って乗り込めて、かつ積載量を確保する為には、本当にあれけのサイズの拡大が必要だったのか?という点だ。

僕から見れば、レガシィの基本エンジニアリングと、パッケージングの考え方は、大げさな話レオーネを通り越してスバル初の乗用車であるスバル1000からあまり進歩しているとはいえない。
裏を返せば、スバル1000という車は、当時それほど画期的なメカニズムとパッケージングを備えた車であった証拠だといえる。

世界中の多くのコンパクトな大衆車が、FRに縦置きのエンジンで後輪を駆動して、トラック同様の足回りであったのに対し、室内寸法を稼ぎ出す為、前長の短い水平対向エンジンをアクスルの前に配置したFFを採用し、水平対向の低重心と、運動性を確保する為、当時このクラスの大衆車用のエンジンとしては画期的な(無謀な)オールアルミエンジンを採用し、操縦性と乗りごごち、軽量化の為、トションバー採用の4輪独立懸架サスであったなど、「何処を見ても同じ物が無い」画期的な車だった。

後「4DW」もこのレイアウトがあってこそであり、であれば、よりハイパワーになり、豪華になったとはいえ、基本的なエンジリアニングは、延長線上にあるといってよい。

多人数乗りで、積載性が高く、高い運動性を備えて、強いドライビングプレジャーを与えてくれる車をレガシィが目指しているのだとすれば、今のこのレガシィのエンジニアリングの成り立ちが、本当に「ベスト」だと言い切れるだろうか?。

もし、水平対向エンジンという物のメリットを十分生かそうとするのなら、あんなに間の抜けたように長いフロントノーズが必要だろうか。
賛否はあろうが、たとえば今流行の「ミニバン」のように、極端なキャブフォワードで室内を前進させ、何だったら徹底的に低く構えた(ドライサンプでオイルパンを無くして)エンジンの上に、キャビンを載せるくらいの事を考えてもよかったのではないだろうか?。
さらに発展させれば、「ミッドシップ」やRRレイアウトの上にキャビンを載せれば、たとえば初代の「エスティマ」をさらにスポーティーにさせた、スポーツミニバン的なモノも考えられたのではないだろうか。

こういうことを考える根拠として、ホンダの「ストリーム」の出来の良さから、「もしかしたらこれはホンダが作った国内向けのレガシィの受け皿になりうる」という話からだ。

ストリームはホンダが出した、「背の低い」、走りを売りにしているミニバンだ。
ホント、どちらかというとミニバンというより3列シートのある「ステーションワゴン」といえる代物だ。
しかもホンダDNAをたっぷり受け継いでいるようで、堅牢なボディとよく躾けられた足回り、出来の良いCVTのおかげで、驚くほどよく走る。
たかがミニバンと侮って走り出したら、大げさな話、脚を固めたインプレッサから乗り換えて、なんら遜色が無くワインディングや高速道路を走れるのに正直驚いた。
残念ながらMTやハイパワーエンジン、「マトモな4WD」が設定されていないので、完全にレガシィの後釜には座れないが、十分その素質がある。

また5ナンバーサイズでありながら、相当な巨漢が乗り込んでも窮屈ではなく、荷物も載せられる。
何でこんな優れたマルチパーパスビークルを、特に欧州に出さないのか不思議でしょうがないが、そこがホンダらしいともいえる。

もし、いや絶対にありえないだろうが、次期ストリームが「フィット」のようなセンタータンクレイアウトをとって、セカンドシートをフルフォールディングで低く収納すれば、さらに広大な収納空間が確保できるし、6速MTや、パワー形のハイブリットシステム、もしくはDOHC、VTECエンジンを搭載した「タイプR」などを設定したとすると、できれば「まともな4WD」システムまで加われば、スバルから切り擦れられた既存のレガシィファンをごっそり頂戴することが可能なのではないだろうか?。

そんな可能性をストリームは秘めているが、同時にこのくらいの車を、このくらいのレガシィをスバルには強い勇気を持って開発してもらいたかったし、出来ない現状が残念で堪らない。

新型レガシィもちらほら街中で見かけるようになったが、こんなに目立たない新型レガシィは初めてだ。
朝、通勤で信号待ちをしている時、何台かトヨタ車が続けざまに通過して行き、実はその一台が新型レガシィであり、それに気が付かなかったほどトヨタ車の中で馴染んでいて、またインパクトが無いことに愕然とした。

冗談ではなく、こんなことでは次期レガシィは、カムリのコンポーネントを使い、RAV4やバンガードの兄弟者として、「バッチが違うだけ」のトヨタ車になってしまうのではないかと、本気で思ってしまった。
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若者が車を買わないモットモな理由 [車]

つい昨年まで、私は2台の普通乗用車を所有していた。
1台は通勤と日常生活の買い物などの「脚代わり」に使うコンパクトカーで、もう一台は週末のレジャーに使う為の、スポーティーなワゴンだった。

独身の自分にとって、2台の車を所有することは、経済的に「余裕綽々」ではないものの、生活を圧迫するほどではなかったので、気にも留めなかったが、一昨年辺りから、「どうも経済の雲行きが怪しい」と考えていたので、生活費を極力圧縮しようと、自分が好きで買った車を泣く泣く処分して、コンパクトカーも値段が付くうちにと、あわせて、1台の5ナンバーミニバンに買い換えた。

そのとき、改めて一台の車を保有する場合のコストを計算したが、自分はこんなにお金を払って車を維持していたんだなと驚いてしまった。

年間コストは、税金が39500円、任意保険が26300円、ガソリン代がハイオクで、燃費が良くて9km/ℓの車だったので約150000円、エンジンオイルが24000円、車検代が年割り約80000円、その他消耗品やアクセサリー、洗車などの雑費が35000円と、故障もせずに順調に動いていても、何と345800円も掛かっていたのだ!。
もう一台のコンパクトカーはそんなに掛かっていなかったが、年間にして約50万円ほどの費用が掛かっていて、月額にすれば4万円程と、残業代のほとんどが車に費やされていた。

僕の場合絶対車のためにローンは組まない主義だったのでこの程度で済んでいるが、これに購入費のローンが加われば、ほとんど車を乗る為に働いているようなものになってしまう。

車に対して熱い情熱や憧れがあり、車によって享受する豊かさに満足していれば許容できていた「生活コスト」ではあったが、そんな僕でさえ、「何故車を持つだけでこれだけのコストが掛かるのか?」と疑問を持ってしまったくらいだったから、大都市とその周辺で公共交通機関が発達したところに住んでいて、車が絶対に必要ではない人や、車以外のことに人生の楽しみを感じている人達にとって、これはどの生活を圧迫するコストが、許容できるはずは無いのではなかったろうか?

となれば、必要が無ければ車は買わないし、地方など生活の必需品である場合は「仕方が無く」最も維持費の安い「軽自動車」を買ってしまうのは当然の結果だと思う。

してみれば、メーカーや、財源が必要な行政などの思惑に乗って、高い車を買って、高い維持費を払い続けることの方がよっぽど不自然であり、その事に気づいてしまって、車にそっぽを向いてしまった若者の方が、よっぽど「正常」であるといえないだろうか?。

この問題はとっても根が深い。
自動車という物は、単なるメーカーの業績のみならず、その利権が、日本の産業構造や行政、政治に複雑に絡み合っているので、自動車産業の崩壊とは、下手をすると生活の価値観、幸福感の崩壊さえ招いてしまう深刻な事態を招いてしまう可能性が高いのだ。

僕個人的な意見なのだが、もっとリーズナブルに、環境や人間との親和性の高いモビリティが生み出され、楽しい自動車生活を送れない物かと考えてしまう。

そのためには、我々ユーザー自体が、自動車に対して抱く「価値観」「幸福感」を、従来とは別の方向に変えて行かなければならないのかもしれない。




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大きい車は使い難い! [車]

僕はこのブログで、最近の日本車が、不当に大きすぎると何度も非難してきた。
これは、正義感ぶったエコ指向に便乗しているからではなく、「本当に使いにくい」からだ。

かつて、国産車は5ナンバーサイズの呪縛で、明らかにバランスのよくない、そうヒョロッと伸びた棒のようなデザインの車が多く、欧米車(特にアメ車)のように、おおらかでふくよかなデザインの車の方が、カッコよく見えたことは確かだ。

だが、周囲が広大な原野や砂漠の中で使うのであれば、全幅が2mに迫ろうとも困りはしないが、日本の道路事情や駐車場などを日常的に使うのであれば、幅はせいぜい1750mmまでが限界であると実感している。

何年か前に全幅1760mmの車に乗っていたが、国道や高速道路を走る分にはいいのだが、市街地の路地や、田舎道などを通過したり、スーパーマーケットやショッピングセンターの駐車場を使うときなど、必要以上に幅を気にしなければならないことがなんとしても煩わしく、それ以後は5ナンバーサイズの車しか買わないことにしている。

以前も書いたが、トヨタがクラウンにはじめての3ナンバーサイズを設定するとき、日本中の道路や使い勝手を検証して、日本では1745mmまでが、使用上問題の無い限界のサイズであると結論付けた。
それは本当に正しい判断だったはずだが、マーケットはそれよりもはるかに大きい「シーマ」を熱狂的に受け入れてしまったので、以後その話がトヨタから出てくることはなくなってしまった。

まあ、僕的に百歩譲って、そういう大きなサイズの車が存在し。マーケットがあるのなら全面的に否定しないしが、俗に言う「大衆車クラス」まで、必要以上に大きくするのは疑問だ。

これはヨーロッパ、特にドイツ車に顕著で、世界の大衆車の代表たるVWの「ゴルフ」でさえ全幅が1790mmもあるというのはどうしても納得できない。
いくらドイツだからというって、常にアウトバーンを全開で疾走するわけではあるまい。

欧州全体で見れば、いまだ中世の町並みがそのまま残っているところも多いはずで、南欧などの山間地などもけして道が広いようには思えない。

BMWも2002や初期の3シリーズは5ナンバーサイズだったし、ベンツの190シリーズも、日本のマーケットを主眼において5ナンバーサイズに収めたのではなかったはずだ。

まあ、欧州の自動車メーカーも、アメリカ市場への輸出を主眼に置いたからだとも考えられるが、事ドイツに至っては、内燃機関のエンジンを搭載した自動車の最後を迎えるにあたっての、ヒステリックなパフォーマンスの向上の行き着く果ての産物の巨大化と見えなくも無い。

これは、巨大化の行き着く果てに、原因不明の環境の変化についていけず絶滅した「恐竜」に重なって見えてしまう。

ドイツということになると、ナチスドイツが、戦況の劣勢を挽回しようと、主力戦車を巨大化させていき、果ては188tもある非常識までな巨大戦車「マウス」を作り出したが実戦に間に合わず、ナチスそのものが崩壊していった故事にも準えるかもしれない。

当のドイツもそれらのことに気がついてか、サイズの縮小の傾向にある。
これらは「燃費」を稼ぐ為のスモール化が主眼であろうが。

日本ものメーカーもそろそろ目を覚ましてもらい、全部5ナンバーに戻せとは言わないが、せめて「理性的な」サイズまで縮小して欲しいと思っている。

最も世間の「より豪華に快適で、速く」という、もはや無意味な上昇志向が改まらない限り、なかなかうまくはいかないのかもしれない。

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興味がわかない?新型レガシィ [車]

新型レガシィが出てから、結構経ったが、一向にブログに感想を書く気には成れなかったし、今も積極的に評価しようという気はあまり無いというのが正直なところだ。

まあ、自動車という物に対する興味や情熱が、以前ほど無いのだからともいえるが、新型のZなどは、ストレートに「カッコいい」し、ホント、お金に余裕が出来たら素直に欲しいと思う気持ちは、少年の頃にS30のZを見たときとあまり変わっていない。

つまり、それだけレガシィという車に僕個人としては魅力が無いということになる。

まず、その「見てくれ」、つまりエクステリアデザインだが、「スバルらしさ」云々をさも偉そうに述べるつもりは無いが、パットみて正直まったく魅力が無い
この車は何処の国の、何処のメーカーなのか良く判らない、「どこかで見たような」ディテールが、それなりにちりばめられてはいるのだが、手放しで「美しい」とも「カッコいい」とも「力強い」とも、デザインから我々ユーザーに語りかけてくる物が、まったく感じられないからなのかもしれない
かつてのレガシィ、いやスバルのデザインに見られるように明らかに「こりゃぁ変なデザインだな」という、滑稽ともいえる珍妙なディテールは姿をけしているのだが、可といって特に訴えかけるところも無い。
しいて言えば、やはりイメージが「トヨタ的」になってしまったのは意識的なのか、偶然の産物なのか?。

万人にそつなく受ける可能性はあるが、このデザインをして「オンリーワン」では選んではくれないだろう
そういった意味でもトヨタ的なのかもしれない。

二つ目はそのパッケージングで、これは商売上仕方が無いことなのかもしれないが、企画された当時は、金満バブルのアメリカ人のために、アメリカのマーケットを中心に企画されていたはずなので、そのサイズが、アメリカン的に肥大化してしまった

まあ、他のミドルサイズで、世界中のマーケットを持っている車は、内外問わず軒並み巨大化してしまったので、レガシィだけを非難するのはお門違いだとは思うけれども、少なくとも国内で自分が乗るのには、まったくもって「不適格」な大きさだとしか言いようが無い

大体、どのメーカーもサイズの巨大化を、ユーザーの居住性の要求にこたえる為だと、判を押したように答えるが、これはユーザーをとことんコケにしたペテンに過ぎない!。
実は、欧米人の体格の人間が、4人乗って荷物を搭載して、十分満足のいく車内寸法を得るのに、日本の5ナンバーサイズで不可能ではないのだ。
では何故巨大化、特に全幅が広がってしまうのだろう?。
その理由のひとつは「デザイン上の商品価値」で、結局他の車が軒並みおおらかに寸法を自由に使ってデザインされた車と比較すると、確かに幅の狭い車は、貧相に見えるのだ。

そして、これは、メディアなどでも語られていないが、「安く作れる」からだと思っている。
「何を馬鹿な、大きくなればそれだけ高くなるじゃないか」と反論する人もいるだろうが、どっこい、大きくすることで生産コストを下げることが出来る要素は結構多いのだ。

ひとつはエンジンで、5ナンバーの2000ccで、ライバルに負けない動力性能や現在であれば燃費をも達成しようとなると、どうしても複雑で、高度な加給技術を使わなくてはならなくなる。
そのための電子制御や、耐熱性や強度、軽量化を図る為の高価な材料など、非常にコストが掛かる。
それは先代レガシィい達の「シーケンシャルツインターボ」や「チタンタービン」、またはVWのツインチャージエンジンなどを見れば一目瞭然だ。

ところが、そんな複雑なことをしなくとも、「排気量」さえ上げてしまえば、比較的容易に安価に実現できてしまうのである。
同じ280PSのエンジンでも、2000CCの凝ったターボエンジンより、3500CCのV6エンジンの方がはるかにコストが安いのだ。

また、車体もある程度限られた寸法で捩れなどの剛性や、衝突安全性能の為の強度を出して、尚且つ軽量化を図ろうとすると、「ハイテン鋼」やアルミニウムなど、高額な材料を多用しなければならないが、大きく作ると箱構造の断面積が取れるので捩れにくくなったり、衝突のときの「クラッシャブルゾーン」、つまり潰れて衝撃を吸収する空間が大きく取れるので、高価な材料や特殊な設計、溶接技術(これが結構肝心な要素)を使う必要がなくなるので、工場の生産コストまで考えると、かなりのコストダウンを図ることが可能になるはずなのだ。

また操縦性能の面でも、幅、つまりトレットを広げることが出来れば、横安定性、特に横の「ロール剛性」を単純に上げることが出来るので、ばねレートの低い、やわらかいサススプリングが使え、ダンパーの減衰力も下げられるので、乗り心地もよくなり、足回りをやわらかく出来れば、それだけ取り付け面の強度を上げなくともよくなるので、薄い鋼板の仕様や、溶接点の減少など、これまた軽量化とコストダウンに貢献できるのだ。

レガシィを見ると、忠実にその文法に従って欧米での商品性とコストダウンを図った形跡が読み取れてしまうので、「レガシィ、富士重工よおまえもか」という気持ちが湧き上がってしまうのだ。

つまり、5ナンバーや、2000ccの縛りを解いたのは、我々ユーザーの利益ではなく、ひたすらメーカーの「商売上の都合」であるという点が大型化に対する僕の拒否反応の根拠なのだ。

まあ、レガシィ、フロント搭載の水平対抗エンジンの車に関しては、トレットの拡大は「固有の」メリットがある
ご存知のように水平対抗エンジンは幅が広い。
よって、横方向の寸法的制約が多く、たとえば5ナンバーサイズの全幅1700mm以内だと、フロントタイヤのホイールハウスの寸法が足らず。ハンドルの切れ角を大きく取れないというデメリットがあった。
また、エンジンも、現在のように低中速回転でトルクを出して、燃費を向上させようということをしようとしても、エンジンルームの幅の制約で、エンジンシリンダー内のピストンのストローク量を増やすことが物理的に難しくなり、どうしても本来高回転型の「ショートストローク」エンジンになりざるを得なかったので、幅を増やせば、ロングストローク型エンジンを搭載しやすい。

またこれは僕の推定なのだが、今回の売りのひとつの、エンジンを囲うように配置された「クレードル型サブフレーム」は、エンジン内の幅を広げることで実現できた構造で、そのメリットは、NVH(ノイズ・バイブレーション・ハーシュネス)の向上を図る場合、どうしてもフロントサスペンションの取り付けを出来る限りサブフレーム側に移したいが、従来の縦に積み重ねるサブフレーム構造だと、どうしてもサブフレームの厚みが増えてしまい、エンジンの搭載位置が高くなってしまい、低重心が売りの水平対抗エンジンのメリットが低下してしまうので、採用されたのだと思っている。
また、エンジンのマウントを、クレードルの横方向に適切に配置すれば、シンメトリーAWDシステムの弱点のひとつであった、ドライブトレーンの剛性不足による、振動と操縦性への影響を緩和できるのでは?とも推察している。

まあ、そういった意味では、最近の安く作ることしか頭に無く、如何なるエンジニアリング的な挑戦を排除して、電子制御でごまかそうとしている他の国産メーカーに比べれば、技術的にはるかにまじめに取り組んでフルモデルチェンジがなされたともいえなくはないのだ

だがここまでくどくど書いている割に、一向にこの車に興味がわいてこないのは、何故なのか?。
それは「購入対象にならないという一点に尽きるのかもしれない
Zの場合、確かに購入対象にはならないかも知れないが「憧れ」を演出する「スポーツカー」としての「華」がある。

だがレガシィの場合、値段とサイズの問題で、購入対象には絶対になりえず、さりとて、「グランドツアラー」として、アウディに真っ向から立ち向かえるほどの技術的取り組みも無い。
そして「ワゴン」や「アウトバック」などは、SUVとしての取り立てて特出するような技術の採用も特色も無い。

買えないし、憧れないし、驚かないし、賞賛も出来ない・・・・・・・。
これでは興味を持とうにも、持てる要素がないのだ。

その上、「乗ってみれば良さがわかりますよ」という、ここ20年ほど聞かされた呆れるような陳腐なセールストークを聞いたところで>、「乗ってみなければ良さもわからない車や、そんな車しか出せないメーカーが生き残れるほど世の中は甘くないよ」としか返答できないのだ。 これは、ホンダのアコードなんかにもまったく同じことが言えるのだが。 レガシィのかかわらず多くの車に言えることなのだが、単に豊かさ、豪華さ、絶対性能、燃費や安全性能だけでなく、今後のモビリティを真剣に考えた場合、本当に過去の価値観の延長線上で、漫然と資源を大量に使って車を量産して世界中にばら撒くことが正しいことなのか、それを真剣に考えて、「新しい自動車の価値観」を、マーケットに問いかけるような車が無いことに、多いなる危機感を感じるのだ。 これでは>「自動車産業」は、「鉄鋼」や「造船」などと同じく、全盛期の異物として衰退していくのが目に見えてしまわないだろうか。 プリウスやインサイトごときの100年前の潜水艦程度のハイブリット技術をして「未来志向」を語るなどは片腹痛いのだが、もっと新しい価値観を提案できない物だろうか。 たとえばレガシィであれば、築き上げてきたブランドが、「グランドツーリング性能を誇る、居住性と積載性能に優れた本物志向の自動車」strong>という観点で、水平対抗エンジンに強いこだわりをもつのであれば、エンジンレイアウトやパッケージング、ドライブとレーンの全面見直しを図り、「未来志向の最適の技術」をもってして、「今後20年は陳腐化しない」フラッグシップを作り上げるべきではなかったのか!。 無論現在の経済状況や、「トヨタの縛り」の中では絶対に不可能だと認識した上であえて言っているのだが。 RRのレイアウトに固執して、最新技術で最高のスポーツカーを出しているポルシェなどを比較に出して、基本的にスバル1000からレイアウトの変わらないレガシィをして、それがブランドだと嘯く評論かもいるが、僕はそんなヨタ話を相手にしたくない。 以前もブログで書いたが、引き継がれる伝統やブランドは、見かけや形式の問題ではなく、「精神(スピリット)」strong>であると今も確信している。 先のレガシイィの持っているブランドを、我々ユーザーに本当に最適な技術と製品を提供しようと考えた場合、果たして新型レガシィがこの姿で登場したことが、本当に>「スバルの自動車作りの精神」という、他に替えがたい貴重な「ブランド」を継承しているのか否かを、考えてみてもいいのではないだろうか。 これを青臭い精神論と一蹴するか、次世代に生き残るヒントと考えるかは受手の自由だが、従来型のビジネスモデルにしがみついていては、次世代どころか今年末にも路頭に迷いかねないというのが、我々のみに迫っている「現実」だと僕は考えている。 で、もしレガシィが僕の購入候補になるのだとしたら、現行型ではなく、先代の、古臭い4ATでも構わないから、アウトバックの2.5の方が魅力を感じるなぁ、ということになってしまうし、少なくとも国内マーケットは、そういう答えを出してしまう可能性が大きいのではないだろうか。
タグ:レガシィ
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唖然、呆然、詐欺同然!。プリウス1ヶ月で18万台受注の疑惑の裏は [車]

幼少の頃から自動車マニアで、およそ40年近く自動車の情報に触れてきていたが、高度成長期やバブル期で、「世間の話題を独占!」的に、熱狂的にマーケットに受け入れられた車種でさえ、1ヶ月で18万台などという、途方もない受注数を聞いたことがない。

ではプリウスのこの驚異的な受注数は何なのだろう。

答えは簡単でトヨタの日本中の星の数あるディーラーや、関連企業、下請けなどに、「割り当て」したからだと推測すれば納得がいく。

ひとつは、プリウスは熱狂的にユーザーに受け入れられていますという世論の扇動をする為であり、もうひとつは、工場や関連企業も含めた当座の「業務量」を強引に確保する為だと考えられる。

ここで、たとえ強引であろうとも、方法がエゲツナイと揶揄されようとも、エコカーの販売の主導権をなんとしても確保しなければ、企業の存続さえ危ういという「怯え」に近い危機感が見とれるのだ。

でなければ、「乾いた雑巾から搾り取る」とまで言われるほど収益に固執するトヨタが、当初の販売予定金額(235万円程度といわれていた)から、30万も値段を下げて、また、旧型を189万円で投売りしてまで、ホンダのインサイトつぶしを執拗に行う道理がない。

そもそも、新型プリウスという車自体、日本中のユーザーが群がって買い求めるような魅力のある商品には思えない。

確かに燃費はいいのかもしれない。
排気量も増えて走りも力強くなり、装備も充実している。

だが、僕がこのブログで、他のメーカーの多くの車を寸評しているのと同じで、「これが未来につながる、新世代の自動車ですよ」というパッションが微塵もかんじられない。

あくまで従来技術の、従来の価値観の延長線上で、「旧型と比べるとよくなっているでしょう」という範疇から一歩も抜け出ていないとしか言いようがない。

トヨタには、初代に画期的な車を予算をふんだんに投入して(トヨタといては)市場に投入し、確固たるポジションを築き上げたら、後はそのイメージを利用して徹底的にコストダウンした車で3世代は食いつぶすという考え方があるようだ。

ソアラしかり、エスティマしかり、レクサスLS(セルシオ)しかり、おそらくビッツもそうなるだろう。

となると、画期的なハイブリットカーとして華々しく登場した初代プリウスから、「大きく豪華」になっただけの先代と、今回の3代目プリウスは、穀潰しの三代目ということになるのだろうか。

これで稼いだお金で、今度は「電気自動車主体で、ガソリンエンジンで補助する」タイプのハイブリットカーとしてのプリウスを4年後に拝めるのかもしれない。
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矛盾だらけの「エコカー減税」は誰のもの?呆れた大型ミニバンも「エコカー」! [車]

TVのCMで、僕の大嫌いなトヨタの「ベルファイヤ」のCMをやっていて、苦々しく見ていたら、なんと環境破壊の権化のような、デカイ図体のガソリン垂れ流し車が「エコカー減税」の対象車だと宣伝していて驚いた。

この車の何処が「エコ」なのかなんとしても理解に苦しむが、そもそも「エコカー減税」自体、胡散臭い代物であると思っていたので、ますます疑問が増大した。

まったく興味が無かったので内容が良くわからなかったが、要するにガソリン車に関して言えば、排気ガス規制と、これまたインチキくさい燃費規制をクリアしていればOKなのだそうだ。

だから大きい車でも、その重量のクラスの基準燃費をクリアしていれば良く、いくら大きくとも関係が無い。

ついでに、エコカーの対象者を見てみると、これが面白いほどそのメーカーの「売れ筋商品」のオンパレードとなっている。

そもそも自動車の燃費などは、形式認証を国土交通省で認可する審査のときに、如何様にでも「操作」出来る類のものなのだと思っている。

実際ユーザーが乗ってみると、カタログに有る燃費などというものが、如何にペテンであるということは、皆さんご承知の通りだと思う。

排ガス規制に関しても、かなりの「抜け道」があることは実は「周知の事実」であり、おそらく大型ミニバンの大排気量者をアクセルガバ踏みで爆走している車の排ガスは「びっくり」するほど汚いはずだ。

してみれば、エコカー減税などというものは、環境を隠れ蓑にした、体裁の良い「販売促進」を官民がグルになって行っているとしか言いようが無い

正常な神経と、まともな知識を持った方なら、燃費の良い小さい車を乗り換えないのと、燃費の悪い大型ミニバンなどでいい気になって飛ばして歩いて、頻繁に取り替えるのと、どちらが環境に優しいか一目瞭然だろう。

それが本当に環境に優しくしようと、燃費の良い古い車を長年大切に使った人が余計に税金を納め、自分の「虚栄心」を満たすため、金に飽かせて大型ミニバンを買いあさる輩が減税の恩恵に浸れるというのは、どう考えても間違っているし不公平だ

日本という国の企業や国家が、目先の私利私欲のために、環境問題に真剣に取り組もうという気が無いことは明らかだが、それ以前にユーザーや国民の意識の変革が伴っていないことの方が深刻ではないだろうか。

すでに問答無用で、経済観や生活に関する基本概念の転換が求められているのに、何時までも「虚構の栄華」に浸っているようでは、次世代は言うまでも無く、自分たち自身がとんでもないことになるのかもしれないという、
当たり前の「想像力」を、一人でも多くの人たちに持ってほしい。

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山菜漁りで他人の迷惑顧みず!、危険な山岳道路での路上駐車 [車]

雨が続いてうっとおしい!
週末の自転車乗りを、楽しみに日常を送っている僕にとっては、残念どころか不満が鬱積して爆発しそうになる。

しょうがないので、ガソリン代をケチって封印していた長距離ドライブに出かけた。
山間部のワインディングを、軽快に疾走していると、イライラも収まって爽快な気分になる。
もちろん他人の迷惑にならない範囲だが。

本来なら抜けるような青空でのドライブの方が爽快なのだが、単純に走ることを楽しむだけなら、今日のように天候不順の方が好ましい事がある。

それは、都心部から訪れて、所構わず路上駐車している、迷惑をはるかに通り越して、大変危険な車がほとんどいなくなるからだ。

よく観察すると、都心部の他県ナンバーで、結構高額な車、しかも年配者が多いことに気が付く。
あるものは絶景が見られる場所で、あるものは山菜を取るため、如何なる所にも平気で車を止めてくれる。
おそらく運転者は、自分が行った行為がどれだけ危険で、他人をも生命の危機に巻き込んでいるという想像力は皆無であろう。

事実、最近おそらく山岳部の国道に車を止めておいて、そこにトラックがぶつかって、跳ね飛ばされて鬼籍に入られた老夫婦の事故が報道されていた。

確かに前方不注意でぶつけた方のトラックが「加害者」として裁かれるのだが、「そんなところに」車を止めていなければこんな事故はおきなかったはずだ。

これがカーブが続く九十九折れの山岳道路だと、カーブの先が見えない(ウィンドィウコーナー)所など、カーブを抜けたとたん車が堂々と駐車していて冷や汗をかいた事など、一度や二度ではない。

世の中には、「自動車」というものを、「ドアtoドア」の魔法の絨毯と勘違いしている人が多すぎやしまいか?。
ショッピングモールやスーパーの駐車場なんかも、何が何でも入り口の近くに停めなければ気がすまない人はおおく、中には堂々と入り口の前に「不法駐車」してシレッとしている馬鹿者も多い。

これは、身障者用の駐車場に、平気で駐車してしまう連中も同じ事で、あくまで健常者での話だが、たかが100mくらい歩いたところで知れたもので、反対にそんな距離も歩けない、歩く気も無いというのは、横着を通り越して「不埒物」と断言したい。

山岳道路に限らず「不法路上駐車」に、如何なる正当な理由もあるはずが無く、他人に迷惑をかける、あまつさえ生命の危険を与えるというのなら、問答無用で排除するべきではないだろうか。

自動車の利便性を教授する「権利」を振りかざすのなら、その事で「公序良俗」に反さないように努力する「義務」が生じるのは当然で、義務の履行なき権利の主張は認められるものではない。

先に、結構裕福なお年寄りが、迷惑な路上駐車をしていることが多いと言ったが、こんな「当たり前」のことも判らない様では、あまり有意義なお年の召され方をしなかったのでは?とも勘ぐりたくもなる。

「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったもので、僕は若年者に後ろ指を刺されないような「筋の通った」年寄りになりたいですな。

「うるさい爺だ!」と、煙たがれるのは必至だが。






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新型プリウスに出演中の、スーパーマンの堕落 [車]

最近までやっていた旧型プリウスのCMも、あの「手塚治」大先生のキャラが総出演していて、違和感を感じていた。

本当に先生がご存命だったら、「ハイブリットだから環境に優しい」的なペテンのためにアトムを出演させただろうかと思うと複雑な心境だった。

で、今度は天下のヒーロー「スーパーマン」ときた。
かつていろいろなメディアでスーパーマンのパロディがあったが、胸の「S」のマークはは無かったはずだ。
「すっぱまん」なんていうのもあったな。

じつはこの版権を持っている映画社は、非常にうるさいので有名で、ちょっとでも出ようものなら、即座に訴訟を起こすらしい。

だから、プリウスのCMを見て驚いた。
一応本家であることは間違いない。

しかし、このスーパーマンは、「スーパーヒーロー」が行ってはいけない、世界共通の不文律を犯している。
それはスーパーヒーローたる所以の能力を、自分のためには使ってはいけないということだ。

このCMでは、地球人での「クラーク ケント」であるときに、勤めている新聞社「デイリープラネット」の編集長に、スクープを取って来いとはっぱをかけられて、スーパーマンに変身して、プリウスのエンジンルームの写真を「透視」により撮っている。
自分の欲目のために、スーパーマンの特殊能力を使うのも情けないが、プリウスのエンジンルームをトクダネ扱いする編集長も情けない。

しかし、これが地球(人類を含む地球環境すべて)を守る、正義のヒーローの行うことだろうか?

このCMは国内専用なのだろうか?
アメリカ人が自国の自慢のスーパーヒーローが、日本の自動車会社にコケにされたようなCMを見て、「プリウスを買おう」と思ってくれるほど、アメリカ人は能天気な国民なのだろうか?。

無論このような「ヒネクレタ」見方をする人は圧倒的に少数派で、僕自身も「正論」とは言わない。

だが、新型プリウスには、車自体もそうなのだが、販売方法も含めて「形振りかまわず」という印象を受ける。
これはトヨタの「驕り」なのか?、それとも「断末魔」なのか?。
どちらにしろ、今のトヨタは、ここ数年来の「心無き飽くなき拡大」路線の成れの果てに行き着いた、「危うさ」に満ちていることは間違いない。



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儲けに目が眩んで必要な車を売らない自動車メーカーの堕落 [車]

とあるRV系の雑誌でこんな記事があった。
それは読者からの「怒りの電話」を紹介したものだった。

何でも最近のメーカーは、オフロードタイプの4WD車で、高くて豪華で大きいものしか作らず、実用的な、本当に生活や仕事に必要な車を作らない、もしくは国内では販売してくれないのはけしからんと言う内容だった。

確かに、幾ら舗装路が多くなったとはいえ、山間部では未だ未舗装路、いやそんな生易しい道ではない、「道なき道」を、走破して、多くの物資を運ばなければ成らない人達も多く存在している。

かつてはランクルも、サファリも、そういうための人の車であったはずで、「RVレクレーショナルビークル」などと、なめた名前の遊び車に傾倒していても、ベーシックグレードとして「実用車」が存在していた。

だが、各メーカーは、収益の改善と言う「錦の御旗」を掲げて、ユーザーの利便性や生活に必要なものであっても、「収益第一主義」の為に、情け容赦なくラインアップを切り捨てていったという経緯がある。

これはオフロード車だけに止まらず、今では「国内専用車を作るとコストが掛かるので、作りません」とばかり、借金まみれで浮かれた成金生活をしている欧米や中東向けの「非常識までに」大きな車を、この狭い日本で「大きいし豪華なので高級車ですよ」と良くもまあ呆れるほどのペテンで、ユーザーを欺き通した。

だがユーザも馬鹿ではない
確かに今まではお金と消費に浮かされて、「必要以上に豪華なもの」を買うのが「美徳」と、せっせと残業をしてローンを組んで「見分不相応」の似非高級車を買いあさってきたが、事ここに至り、車自体は無くては生活は出来ないが、本当に必要最低限の「生活に必要な最低限の機能」のものしか買ってくれなくなった。

これは電気業界で、生活するのに無くても困らない「AV」や「ゲーム」などが中心の「ソニー」が、あっという間に奈落の底に落ち込んだ事で良く解る。

自動車に話を戻せば、「この自動車でなければ仕事にならない」、「この大きさでなければ乗れない」と言う人がたくさんいるし、「この自動車にはこの程度の装備で十分」、「自分はこの装備の組み合わせが欲しい」と言う声がユーザーから出ていたのにもかかわらず、メーカーは自分達の都合で完全にその声を黙殺した。
また、「何時までもこの車に乗っていたい」という切実な声も補修部品の管理費用を切り詰める為、古い部品はまったく手に入らないようにしてしまった。

こんな事をするメーカーが、本当に「ユーザーフレンドリー」といえるだろうか。

これはもはや自動車メーカーの「エゴ」かもしれない。
確かにこの国は、自動車産業が支えてきた時期が合ったとはいえ、あまりに自動車メーカーは「奢り高ぶった」とはいえないだろうか?。

で、今になって市場からソッポを向かれると、「トカゲの尻尾きり」で生き残ろうとする!。

アメリカの「ビック3」では無いが、まああそこは労使共々「奢り高ぶった」ツケを今一気に払わされようとしているが、日本ももし経済の中心に製造業が、自動車が要らないという事に成ったら、いつ国民から「三行半」を突きつけられてもおかしくは無いだろう。

日本の各自動車メーカーは、何のために自動車を作り、誰の為に供給しなければならないのかと言う企業の原点を、今一度根本から見直す必要があるのではないだろうか。

多分悠長な事を言っていられるほどの時間は与えられていないと僕は確信しているが・・・・・。

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