崩れ去った「労使談合」!、連合は本当に労働者の味方か? [雑感]

そもそも連合が、今年の春闘で「ベア4000円」を打ち出したと聞いた時、食べていたラーメンを噴出したものだ。
しかもその理由が「物価上昇分で、生活レベルを維持する為」と、なんとまあ何十年も前から聞いている、カビの生えたフレーズを、臆面も無く使えたものだと、連中の「正気」を疑った。
ホント怒りのこみ上げる「笑えないつまらないジョーク」だった。

僕は連合傘下の組合で活動した事が有り、春闘の要求案も作成した事が有るが、少なくとも僕が世間一般の人が持っている常識の範囲内で、真っ当な理由で要求を作ろうとしたのに対して、古参執行委員から言われたのは、「上部団体の言う事さえ聞いていれば、言われた内容を会社に出せば良く、その内容に「整合性」や「正当性」がある必要は無い」といった事を言われて、これまた目が点に成った事を憶えている。

結局やつらは、経営側と「私達はストを絶対にしませんから」とい約束で既得権益を得て、「組織の為」、いやはっきり言うと上部役員の「利益」の為に、活動をしていると断言できる。
だから、事情に詳しい人は、大手企業や公務員の上級執行委員の事を「貴族組合員」と罵っているのだ!。

僕は日本の、多くの組合が犯した罪が、歴史的に3つあると思う。

1、闘争の放棄、スト権の封印
労働者の正当な権利であり「伝家の宝刀」ともいえる「スト権」を放棄した組合を恐れる経営者はいない(苦笑)。
やつらが絵空事を言ってふんぞり返れるのは、企業側から一定の「既得権益」を得ていて、手のひらで踊らされているからに過ぎない。
ストを無条件で賛美しているのではない、自分勝手な自分達の利益の為だけの「手前勝手」なストは断固反対だ。
だが、我に「公共性」と「正当性」があるのなら、相手に「非」が有る事が明らかなら、何で「スト」を躊躇う理由があると言うのだろう!。
今回、と言うより連合が「スト」を実行出来ないのは、自分たちの要求に正当性も公共性も無いと言っているのに等しく、「だったらそんな都合の良い要求をして組合員を誑かすな」と、声を大にしていいたい!。
2、労働の価値を、すべて「賃金」に置き換えた
これは資本主義経済の原則に、労働価値をすべて置き換えたと言う事であり、人間の価値=金と言う、是ほど簡単で魅力的で破壊力のある「神」ともいえる価値観に置き換えられれば、そこに「使命感」とか「生きがい」とか「助け合い」とか言う、牧歌的な、実は人間が生きていくのに大切であるはずものさえ簡単に否定され、資本の原理の元、企業側に都合よく様に振り回されてしまう結果を生んだ。
3、競争の名ものと、組合員の間に確執と順列を作ってしまった
本来弱い立場であるはずの労働者が「団結」して「共闘」するからこそ、企業側に正当な要求を出し、対等な立場で話し合えるという「大前提」が合ったはずであり、そこに能力主義とか個別賃金などの制度を導入して、組合員同士を「競い合わせる」、まるで敵同士のような関係にしてしまったら、そこに「団結」などというものが生まれるはずが無く、これも「自分は優秀でもっと賃金をもらえるはずだ」と言う幻想で組合員を騙して、まんまと組織を弱体化させてしまったといえる。

で、その結果、多くの労働組合は企業の内部組織として、「人事部厚生課組合係」とすら揶揄されるような、堕落しきった「お坊ちゃんのサロン」と化してしまったのだ。

景気が良く、企業側が気前良く分け前をくれている(それでも労使分配率は低下し続けた!)うちは、組合員が何とか不必要な消費生活と維持できる賃金を確保できるうちは、如何に組合が間抜けで役立たずで、人の金で銀座で飲み明かしていようが、あえて文句を言うような「骨のある」奴はほとんど出なかったし、たとえ出たとしても「労使協調」で抹殺していったし、それが容易だった。

だが、自分達が如何にに企業側に都合良いような「消費マシーン」として、人件費抑圧の手練手管として、本来もらえるはずの本給を圧縮されていながら、「残業代」という「麻薬」で麻痺させられ、しがないポストと賃金の為、お互いの足の引っ張り合いをしてまんまと企業の思う壺となっていた労働者達も、「住宅ローンが払えない」、「子供の塾通いのお金が捻出出来ない」となれば、ましてや、いとも簡単に「トカゲの尻尾きり」の対象に、自分がなるかもしれないと気が付けば、今までのように大人しく黙ってくれていると言う保証は有るまい。

となれば、「誰がお前達の言う事なんぞ信じるか!」と成る事は火を見るより明らかだろう。

まして、民間企業が軒並み全滅のこのご時世、それでも自分達の保身に躍起で、「血税」で甘い汁を啜ろうとしている「公務員」の「公務員労働組合」と、うまくいくはずが無く、連合の運命は風前の灯とも言える。

恐らく連中に「自己浄化能力」があるとは到底思えず。多くの労働者を「路頭に迷わす」事に成るのではないかと危惧している。

「全労協」など他の労働団体もあるにはあるのだが、本当に多くの労働者、国民の信頼を得て、国や企業に対向しし得る組織に成れるかと言えば、それもここ心もとない。

僕は、チンケな組織論とか、主導権争いなんかではどうになるものでもなく、今の労働運動に決定的に欠けている、それでいて絶対に必要なものは「コンセンサス」だと思う。

何時までも純粋な「マルクス主義」に凝り固まっていてもダメだろうし、かといって「資本原理」に犯された今の多くの労働者の価値観も絶望的だ。

より多くの人達が共感できる、より多くの人達が幸せに成る事の出来る「コンセンサス」と中心にすえて、過去の共産主義のように「絶対是唯一」と宗教のように排他的になることなく、おおくの価値観、人種、宗教と「幸福感を共有」できる。「共存」出来る「何か」が、今こそ我々には必要なのでは無いだろうか。

もうそういう「価値の大転換」という時期、時代の節目に我々はいるという認識を持って、多くの人達の英知を結集していく必要があると僕は信じている。

たとえ「夢物語」と、罵られようとも、我一代でその光を見る事が出来なくともだ。

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