メールやネット上で本当に意思の疎通が出来てるの? [雑感]

40年以上生きている(このくらいでは青二才ともいう)が、本当に人とコミニュケーションを取るのは難しい。
こちらの意図を正確に相手に伝える、理解してもらうのは至難の技で、またその反対も然りだ。

これが文章だと尚更困難を伴う。
自分の文章表現力が貧しい事を棚に上げて言わせて戴いているが、ブログや、会社の業務連絡のメールなど、「これは一体何を意味しているのだろう?」と首をかしげるものが少なくない。

で、案の定良く確かめると、実はまったく違う事を言っていたなんて事は珍しくない。
困った事に、このような「頼りない」意思伝達手段であるのにも関わらず、会社組織など、「メールで通達したので伝わっています」などと、シレッと言いのける無能な管理職が多くてホントに困っている。
彼らは伝えたと言う「事実」が欲しいだけで、内容を真剣に伝える気が無い事が多い。

このブログでも何度も取り上げているが、若年者たちなど、ファミレスで同席しているのに携帯メールでやり取りをしているくらいで、周囲とのコミニュケーションの大部分をネットに頼っているのだが、彼らは本当に意思の疎通が取れているのだろうか。
と言うより、自分達の取っているコミニュケーションがで、「本当に」意思の疎通が取れているのかどうかという事に関して考えた事が有るのだろうか?。真剣に伝える気があるのだろうか?。

上記の、異世代の部下と意思の疎通をする気が無い「中年」と、似非コミニュケーションの偽りの友人たちとの「ゴッコ」で満足している若者とで、共通している事は、「人間関係で、自分だけは傷つきたくない」という、我がままで、卑怯な、おびえとも取れる感情だ。

真剣にその人と人間関係を築こうとすれば、意見の食い違いが有る事は当たり前で、時には衝突する事が有ったとしても、「理解しあう」努力を継続していかなければ、意味がない。

ところが彼らはそういった「ライブ」の「生臭い」人間関係を極度に否定して、逃げ回っている。
だから「ネット」によるソフトな、相手の顔を見ないで済むコミニュケーション手段は、非常にありがたいのかもしれない。

ところが根本的な「社会性」、「公共性」「協調性」に欠け、徹底的に自己中で、自分の価値観の外にいる、理解出来ない存在に対して、毛ほどの慣用性もないものだから、今度はネットを武器にして、相手の存在意義を根底から否定して、いびり殺すまで攻撃を加えてしまうと言う事が珍しくなくなってしまっている。

本来、インターネットの普及で、国家や企業などに恣意的に分断され、「マス」化された個人が、意思疎通を図るためのチャンスが与えられたのに、基本的なコミニュケーション能力が欠如しているもしくは否定しているような状態では、逆にネットにより人間関係が分断されてしまうと言う皮肉な結果に成りはしないだろうか。




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