体も心も弱い「貧弱男子」は、女性の都合の産物! [雑感]

最近自転車で通勤していて気が付いたのだが、朝の集団登校とすれ違うのだが、最近の子供のなんと細い事か!。

まあ、子供をじろじろ見ていると変質者にされてしまうご時世なので、よくよく観察しているわけではないが、どう見ても細い。
ただ単に痩せているというだけでなく、明らかに骨格なども細いし、幅も狭いのではないだろうか?
その上手に包帯を巻いている「骨折」している子供も少なくない。
同じ通勤路で通学している高校生や中学生などとも比べると、幼くて小さい以前に相当「貧弱」になっている。

まず表で遊んでいる子供が少なくなったし、飯を食いながら携帯ゲームをしているくらいだから、ろくな運動などはしていない事は想像に難くない。
更にスーパーやイベント会場などを見ていると、どうやら男のこの方が貧弱なようだ。
小学生くらいだと女のこの方が発達が早いので、一概には言えないが、女の子は活発に走り回ったりはしゃいでいたりしているのに、男の子は不気味におとなしい場合が多い。
驚いたのは、航空機のイベントなどで、通過する戦闘機の爆音に対して、怯えてうずくまったり、泣き出したりしているのはほとんど男の子だという事だ!。

これは、乗り物というと無条件にはしゃいで近づいていった僕の幼少時代からすると、まるで「異星人」を見ているような気分になる。
いや、大抵の男の子は、そうだったと思う。
この分では、雷が落ちたと、教室で泣き喚いているのは、男の子の方が多いのではないだろうか!。
体だけでなく、「心」も貧弱になっているのだ!

僕は別に「男らしさ」を誇張して、男尊女卑を謳っているわけではないのだが、この男の子の無様な姿を見ていると、男女以前に、人間として、社会人としてちゃんと困難なことがあったら立ち向かっていけるような、取り立てて立派ではない「普通の大人」に成れるのだろうかと首を傾げてしまう。
草食系男子や「乙女趣味」の男が増えているという話も聞いているが、これが貧弱な男の成れの果てということなのだろうか?。

これらの「貧弱男子」は、きわめて女性から見て好都合で好感が持てるらしい。
いわば今の女性にとって都合の良い、女性に受けるマーケティングを反映した結果がこの様なのか。
「貧弱男子」の子供に関して言えば、お母さんにとって「大人しくて聞き分けがよく、あまり暴れないで何時も綺麗にしている」子供は好都合なのだそうだが、そうやって自分達の都合よく「飼育」した、家畜に成り下がった何弱な男達は、ここ一発、ギリギリの状態で踏ん張らなければならない事態が起きたとき、おそらく何の役にも立たない事を知るべきだろう。

もしそうなったら、強くなった、主導権を握った世の女性達は、自分や自分の大切な物を守る為に、自ら体を張って頑張らなければならないのだが、そこの彼女!、そんな覚悟があるのかい(苦笑)。
そして、あなたのオシリに隠れて、耳を塞いで怯えてうずくまっているあなたの父親や恋人やご主人をみて、貴女は、どうすればいいのでしょうね!。

といっている、「男らしさ」の溢れている心身頑強な僕は、人生の折り返し地点を過ぎてもわびしい独身のままなのだから、うーん、世の中うまくいかないなぁ。

まあ、ここまで「偏屈」なら当たり前か(苦笑)。


タグ:草食系男子
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民主党圧勝は、成熟した民主主義への遠い第一歩か? [雑感]

このブログを書いている時点で、既に民主党の圧勝が決定し、新しい政権が誕生する事になりそうだ。
しかし、僕は民主党政権に「まったく」何も期待していない。

おそらく「史上最強の野党」として、自民党が長年社会党などにやられたけ意見を踏まえて、一事が万事政権にけちを付けて、難癖を付けて、足を引っ張る事は目にいえている。

当の民主党自体に、本当に筋の通った政策を持って、この国の未来を切り開いていく力も能力もない事は明らかで、民主党に投票した有権者でさえそんなことは承知の上での投票だったはずだ。

多くの政権や候補者の「マニフェスト」や「公約」などを聞いたが、日本の今の何が悪くて、何を変えて、どんな日本にしなければならないかという明確なテーゼを持って、有権者に訴えかけた物はいないと断言できる。

こんなやつらが政権をとったところで、明るい未来が見えてくるとは思えないし、何かが変わるとも思えない。
それどころか民主党は、本当に国民の為の政治を実現する為に政権をとろうとしているのではなく、自民党が長らく居座ってきた、この国の権力構造の上に、自民党を追い出して無条件で乗り移ろうとしているだけではないのか?という疑念が払拭できない。

だがぼくは今回民主党に投票した。

それは、気に入らない政治家や政党は、本当に国民の事を考えない連中は、選挙によってその首を挿げ替える事が出来るという、民主主義の大原則を示す為だ。

偉そうな事を言っていても、国民の意思で、気に入らない政治化は、国民の手によって葬る事が出来るという、当たり前だが、重要なことを、多くの国民が自覚できただけでも、今回の選挙は意味があるのではないだろうか。

それは確かに大衆迎合を招き、「衆愚政治」と呼ばれる物になってしまう事は否定できないが、選挙により代表を選び、自分達が選んだ代表の責任は、結局は有権者が取らなければならないという事を、日本国民は今回の事で自覚していかなければならないだろう。

政権に、国民の目があるという緊張感を生んで、国民も代表を慎重に選ばなければ成らないという、本当に当たり前の事を学ぶ為の第一歩であったのが今回の選挙だったのかもしれない。

これで終わりではない!。これからが始まりだ!。
そしてその道はけして平坦ではない事は覚悟しておいた方が良いだろう。
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消防飛行機と災害援助輸送機が必要! [雑感]

このところ世界中で大規模な山火事のニュースが飛び交っている。
正確に調べたわけではないが、以前より頻度も規模も拡大しているような感じを受ける。

山火事くらいの規模になると、ちょっとやそっとの規模の消火活動はあまり効果がrとは思えない。
アメリカなどでは消防飛行機を持った民間の会社があり、水を投下する航空機は「ウォーターボマー」と呼ばれている。

新規で飛行機を買って運営したのでは採算が取れないので、おもに海軍や空軍から払い下げられた大型輸送機やヘリコプターを使っているケースが多く、日本ではとっくの昔に見られなくなった「懐かしい」軍用機が、消防気として余生を送っている姿も見られる。

最近のニュースでは、新型機と交換されて余剰になったボーイング747旅客機で、古い300型以前の通称「クラッシックジャンボ」を消防飛行機に改造して売り出そうという話があった。

モノが「ジャンボ」だけに、運用コストは掛かるかもしれないが、あれだけの輸送力があれば、相当の放水能力があるはずで、高い消火活動が期待できるはずだ。

こういった発想の元、「日本ならどうする?」と頭を柔軟にして考えれば、色々な方法が取れるのではないだろうか?

たとえば、政治家と官僚の手慰みとして作られた、採算が取れるはずもない地方空港など、エアラインに見捨てられてぺんぺん草をはやしているくらいなら、災害救助の拠点や、消防飛行機の基地として有効に活用するという事も出来るだろう。

地方空港はジャンボの離着陸は無理なところが多いので、それなら余剰になったDC9/MD80・90シリーズや古い737、767あたりを改造してウォーターボマーや、災害派遣の輸送機に使うとかは考えられないだろうか?

ある意味採算を度外視しても、国民の安全を確保する為には必要なコストとして税金を投入する価値はあるはずで、使えもしない「最強の戦闘機」に数兆円もかけるよりははるかに有益だと思う。

何でも新品を金にあかせて買い漁った上に、「使えません」などという話は、嫌というほど効いているが、「今あるもの」、「今は活用されていない物」を有効に「使いこなす」事で、いくらでも効率の良い、本当に国民の為になる行政活動は、十分可能であると思う。

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私見、妄想全開の「有るべきレガシィ」とは? [車]

新型のレガシィは、どうも既存の「スバルマニア」や、歴代のレガシィのファンから評判がよろしくない。
しかしこれは今に始まったことではなく、モデルチェンジを繰り返すたびに聞かされてきた「念仏」のような物だ。

曰く「スバルらしさが消えてしまった」云々の話は聞き飽きている。
そもそも生粋の「スバリスト」に言わせれば、OHVエンジンとトーションバーサスペンションでないといけないらしく、もうこれは「ノスタルジィ」の世界だ。気持ちは理解できるが(苦笑)。

まあ、偉そうに言わさせていただけば、今回のレガシィは、ほぼドンピシャ想像通りのモデルチェンジをしてきた。
というか、スバルには、スバルの開発陣には「これしか」道は無かったとも言える。

とにかくワールドワイドなDセグメントの車を「常識的」に作ろうとすれば、ああするしかないことは、ホンダのアコードやマツダのアテンザを見比べてみれば良く判ることだ。

だが、僕ははその「常識的」という部分で、今回のレガシィに対して批判的になりざるを得ないのだ。

スバルが雑誌で嘯いているように、欧米人の体格のユーザーが多人数ゆとりを持って乗り込めて、かつ積載量を確保する為には、本当にあれけのサイズの拡大が必要だったのか?という点だ。

僕から見れば、レガシィの基本エンジニアリングと、パッケージングの考え方は、大げさな話レオーネを通り越してスバル初の乗用車であるスバル1000からあまり進歩しているとはいえない。
裏を返せば、スバル1000という車は、当時それほど画期的なメカニズムとパッケージングを備えた車であった証拠だといえる。

世界中の多くのコンパクトな大衆車が、FRに縦置きのエンジンで後輪を駆動して、トラック同様の足回りであったのに対し、室内寸法を稼ぎ出す為、前長の短い水平対向エンジンをアクスルの前に配置したFFを採用し、水平対向の低重心と、運動性を確保する為、当時このクラスの大衆車用のエンジンとしては画期的な(無謀な)オールアルミエンジンを採用し、操縦性と乗りごごち、軽量化の為、トションバー採用の4輪独立懸架サスであったなど、「何処を見ても同じ物が無い」画期的な車だった。

後「4DW」もこのレイアウトがあってこそであり、であれば、よりハイパワーになり、豪華になったとはいえ、基本的なエンジリアニングは、延長線上にあるといってよい。

多人数乗りで、積載性が高く、高い運動性を備えて、強いドライビングプレジャーを与えてくれる車をレガシィが目指しているのだとすれば、今のこのレガシィのエンジニアリングの成り立ちが、本当に「ベスト」だと言い切れるだろうか?。

もし、水平対向エンジンという物のメリットを十分生かそうとするのなら、あんなに間の抜けたように長いフロントノーズが必要だろうか。
賛否はあろうが、たとえば今流行の「ミニバン」のように、極端なキャブフォワードで室内を前進させ、何だったら徹底的に低く構えた(ドライサンプでオイルパンを無くして)エンジンの上に、キャビンを載せるくらいの事を考えてもよかったのではないだろうか?。
さらに発展させれば、「ミッドシップ」やRRレイアウトの上にキャビンを載せれば、たとえば初代の「エスティマ」をさらにスポーティーにさせた、スポーツミニバン的なモノも考えられたのではないだろうか。

こういうことを考える根拠として、ホンダの「ストリーム」の出来の良さから、「もしかしたらこれはホンダが作った国内向けのレガシィの受け皿になりうる」という話からだ。

ストリームはホンダが出した、「背の低い」、走りを売りにしているミニバンだ。
ホント、どちらかというとミニバンというより3列シートのある「ステーションワゴン」といえる代物だ。
しかもホンダDNAをたっぷり受け継いでいるようで、堅牢なボディとよく躾けられた足回り、出来の良いCVTのおかげで、驚くほどよく走る。
たかがミニバンと侮って走り出したら、大げさな話、脚を固めたインプレッサから乗り換えて、なんら遜色が無くワインディングや高速道路を走れるのに正直驚いた。
残念ながらMTやハイパワーエンジン、「マトモな4WD」が設定されていないので、完全にレガシィの後釜には座れないが、十分その素質がある。

また5ナンバーサイズでありながら、相当な巨漢が乗り込んでも窮屈ではなく、荷物も載せられる。
何でこんな優れたマルチパーパスビークルを、特に欧州に出さないのか不思議でしょうがないが、そこがホンダらしいともいえる。

もし、いや絶対にありえないだろうが、次期ストリームが「フィット」のようなセンタータンクレイアウトをとって、セカンドシートをフルフォールディングで低く収納すれば、さらに広大な収納空間が確保できるし、6速MTや、パワー形のハイブリットシステム、もしくはDOHC、VTECエンジンを搭載した「タイプR」などを設定したとすると、できれば「まともな4WD」システムまで加われば、スバルから切り擦れられた既存のレガシィファンをごっそり頂戴することが可能なのではないだろうか?。

そんな可能性をストリームは秘めているが、同時にこのくらいの車を、このくらいのレガシィをスバルには強い勇気を持って開発してもらいたかったし、出来ない現状が残念で堪らない。

新型レガシィもちらほら街中で見かけるようになったが、こんなに目立たない新型レガシィは初めてだ。
朝、通勤で信号待ちをしている時、何台かトヨタ車が続けざまに通過して行き、実はその一台が新型レガシィであり、それに気が付かなかったほどトヨタ車の中で馴染んでいて、またインパクトが無いことに愕然とした。

冗談ではなく、こんなことでは次期レガシィは、カムリのコンポーネントを使い、RAV4やバンガードの兄弟者として、「バッチが違うだけ」のトヨタ車になってしまうのではないかと、本気で思ってしまった。
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「バンキシャ!」虚偽報道の検証番組を夜中にやって、逃げる日テレ [雑感]

BPO「放送倫理委員会」は、日本TVのニュース番組「バンキシャ!」が、岐阜県の裏金疑惑の虚偽放送を流した件に関して、検証番組を自ら制作して放送することを求めた。

これはある意味僕から見れば「当然」の処置だ。
マスコミが自らの過ちを、その媒体を使って検証、反省しなければ、マスコミとしての公正さは保てない。

ところが、日本TVはその検証番組を、0時50分に流すという。
この話を聞いて怒りを通り越して笑ってしまった。

いくらこのご時世、生活の時間帯が遅くなってきたとはいえ、0時50分にどのくらいの人間がTVを見ているというのだろう。

この時間は視聴率が低いので、CMの値段が安い。
つまり、日本TVは、この時間帯に自前の番組を放送することは、一番収益に影響が無い。
要するに「お金がもったいない」とい事がホンネで、実はまったく反省するつもりなんぞは、毛ほども無いということを証明してはいないだろうか?。

本当なら一番視聴率がある時間帯で、いわいる「ゴールデンタイム」でお得意先のスポンサーに頭を下げて、ちゃんとした検証番組を放送して視聴者にお詫びすべきである。
たとえ数億円の収益が吹き飛んでも、そのくらいのペナルティは甘んじて受けるべきではないのだろうか。

まあ、こいつらはそういったレベルの連中なので、今後とも日本TVは、嬉々として、儲ける為に嘘八百をでっち上げては放送していくのだろう。


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終末の究極兵器「F22ラプター」の黄昏! [防衛]

世間では究極の戦闘機として喧伝されている、アメリカ空軍のF22ラプターの調達は、事実上なくなった。
最も「権謀術策」の得意なアメリカ政府のことなので、「サプライズ」が起きて、再び調達が再開されないという保障は何処にも無いが。

さて、一般の人には理解できないだろうが、戦術戦闘機という物は、アメリカの世界戦略上で言えば、一発の実弾を撃たなくとも、本当に役に立たなかろうが、存在意義が非常に大きい。
具体的に言えば、戦後アメリカ政府が欲しがった戦闘機は、煌めくばかりの最新技術をちりばめた、目のくらむほど高価な「究極兵器」としての戦闘機であった。

およそ現実と思えないほどの、まるでSFに出てくるような技術を実現して、生産して、調達することの出来る「国力」を世界中に見せ付ける為のものであって、物騒な話、実際の戦闘で、現場のパイロットが本当に必要とする「高い調達性、現実的戦闘能力、簡便な整備製性」がある「使える戦闘機」は、高い必要性があるのにもかかわらず、その調達が後回しにされてきた。

面白い話がある。
米空軍は、戦闘機に高価なコンピューターとセンサーを搭載して、自動で敵を撃退するスマートボムやミサイルを搭載した改良型のF16ファイティングファルコンや、F15ストライクイーグルを装備していったが、湾岸戦争などで、実際にイラクの地上攻撃に役に立ったのは、音速も出ない、マトモな夜間攻撃能力もない、30mmガトリングキャノン・・・つまり大口径の機関砲を搭載した、A10サンダーボルトⅡが、最も効果的な兵器であったと報告している。
にもかかわらず、既にA10は、その鈍足と全天候攻撃能力の欠如から、とっくの昔に生産中止されているというというのが現実という、非常に矛盾した物だった。

使える安価な兵器を買わないで、使えるかもしれないが、とんでもなく高価な兵器ばかり欲しがるというのがアメリカ軍の実態であって、その挙句、とうとう1機300億円という、ちょっとした性能のフリゲート艦が買えると言う、空前絶後の高価な戦闘機であるF22を開発して調達を続けてきたのだ。

ところがさすがのアメリカも、そんな高価な「オモチャ」をホイホイ変える状況ではなくなった。
というより、そもそもF22は、冷戦当時、ヨーロッパ正面(懐かしい単語だな)で、事実上ソ連軍であったワルシャワ条約軍との全面対決で、非常に強固なソ連軍の防空システムを突破して、制空権を確保する為に開発された戦闘機だった。

第三次中東戦争で、アメリカ製の最新戦闘機を装備したイスラエル軍が、レーダーを避け低空侵攻してきたところ、「ソ連式」の防空システムで、携帯式赤外線地対空ミサイルや、レーダー照準の対空機関砲「AAA」、レーダ誘導地対空ミサイルなどで幾層にもハリネズミのように張り巡らされた滞空陣地で待ち構えていたアラブ側の餌食にされてしまったことの反省から、逆転の発想で、「レーダーから隠蔽して高空から超音速巡航で進行する」という発想の元、F22の開発は始まった。

そのほかにワルシャワ軍の攻撃でズタズタにされた飛行場から、残った短距離の滑走路から飛び立てる能力や、複雑な電子制御システムの操作を、一人のパイロットでこなす為の、先進的なインターフェイスを備えたコクピットなど、およそ考えられる最新の技術を盛り込んだ戦闘機としてATF「アドバンスドテクノロジィファイター」という名前で当時開発が進められていた。

ところが状況は一変した。
敵であるソ連そのものが「解体」してしまい、そんな高性能な機種そのものの存在が危ぶまれるようになっていったのだ。
「その他」の国なら、既存の兵器で十分であり、事実、1970年代の戦闘機であるF15イーグルは、長いこと空対空戦闘で撃墜されておらず、無敵の世界最強の戦闘機の称号をほしいままにしていた。

その頃からATFは性格が変貌し、80年代に開発されたソ連のMig29やSu27、もしくはヨーロッパの第三世代の戦闘機である、仏のラファール、英独伊西共同開発のタイフーン、スウェーデンのグリベンも視野に入れた、世界最強の戦闘機を目指していった可能性がある。
競合試作で、従来のATFの思想に忠実に作られた、ノースロップYF23が落選し、「超音速巡航とステルス性能のあるF15」と揶揄されたロッキードYF22が採用されたことから、米空軍は「空対空性能」を重視していたことが判るのだ。

かくしてようやくF22として正式採用されるのだが、その頃から最大の敵は他の戦闘機ではなく、最強の最新技術の塊であるが故の「価格」が敵となってしまったのだ。
F15でさえ、80~100億という価格が、「戦闘機のロールスロイス」と揶揄され、本当は各国に買って欲しかったにもかかわらず、購入したのは、なんとしても勝ち続けなければならない宿命のイスラエルと、「原油」というお金が地下から沸いて出てくるサウジアラビアと、アメリカの子分で経済大国の日本だけという有様で、300億に届こうかというその価格に手を出そうな度と考えるのは、「マトモな神経を持った国」ならないはずだ。

で、マトモでない神経の持ち主である日本が、尻尾を振って欲しがった物の、今度はその最新テクノロジィが、軍事機密としてその流出を拒み、「売りたくとも売れない」というジレンマを抱えてしまった。

ちなみに日本に売らなかった最大の理由は、日本がかつて「FSX」として戦闘機を自主開発しようとしたとき、日本の航空産業の発展を阻止する為、F16改良型の共同生産である「F2」を押し付けた。
ところがアメリカは肝心な操縦系統のコンピューターソフトである「ソースコード」の提供を拒否して暗礁に乗り上げたが、日本側は独自で開発に成功してしまい、実はアメリカが考える以上の開発能力を日本が持っているということが、相当の「ショック」であったとされ、F22のライセンス生産であっても、たちまちその技術を奪われるのは確実と認識した事によると言われている。

かくして、敵対する戦闘機も存在せず、海外販売の夢も立たれ、生産規模拡大によるコストダウンも見込めなくなったF22に訪れたのは「生産終了」という結末だったのだ。

まあ、どちらにしても、最新鋭戦闘機同士がぶつかり合うというような、マニア垂涎の戦闘などは、現実的に起きる機会はほとんど無く、NGF(非国家軍隊)との小競り合いなら、安い戦闘機や戦闘ヘリコプターの数をそろえた方が有効であるし、貧乏な国家が大国に楯突くために、長距離弾道弾やNBC兵器をちらつかせて騒動を起こしたところで、戦闘機の出る幕は無い。

かくして高価な戦術戦闘機を、国家財政が傾くような国防予算で買う国家は存在せず、日米などの武器コングロマリットは、その稼ぎ頭を、「弾道弾防衛システム」に移行させており、もはや戦闘機が花形として世間を騒がせることはなくなるのかもしれない。


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マスコミは、自分の儲けのために、人に迷惑をかけてもいいのか? [雑感]

TVのニュースを見ていて、心底怒りがこみ上げた!

凶悪事件の指名手配中の犯人が捕まったというテロップが流れて、さあそれからは、各局の破廉恥な報道合戦が始まってしまった。

確かにニュースソースとしては、局から見ればたまらない「獲物」だったのだろう。

容疑者の移動する先で、カメラとマイクが容疑者を執拗に追いかける。
搬送する警官の業務の邪魔をして、空港で利用者の迷惑なぞ省みず群がる。

あまつさえ、フライト中の航空機の中で、アテンダントの指示を無視して通路に溢れて容疑者に群がり、周囲の乗客に迷惑をかける。
隣の乗客など、「迷惑だよ!」と怒っているのに、報道陣は何処吹く風だ。

マスコミ諸君!、君達は、君達の収益のため、視聴率を稼いでお金を貰う為には、如何なる迷惑をかけることが許される立場であると、誰が決めたんだい!。

お前らは何様のつもりなんだよ!、ふざけるんじゃねぇ!。

いいか、あの容疑者の報道が、本当に視聴者に伝えなければならないほどの「マスコミとしての責任」があるようなものなのかい!。

結局てめぇらの金儲けのために、どいつもこいつも砂糖に群がる蟻のように容疑者のケツを追っかけてただけなんだろう。

お前達が、マスコミとして、その存在意義をかけて報道しなければならないことは、他に山ほどあるんじゃないのかい。

メシを食う為に、飯の種が必要なことは判るんだけど、いまやそれだけだろ?
情けないと思わないのかい?。

各企業の宣伝関係者の方々に言っておきますけど、低俗な番組を提供するような企業は、同様に低俗とみなされて、そのうち糾弾される危険性がありますよ。


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梅雨明け宣言を間違えた本当の理由は? [防災]

もう気象庁が「〇〇宣言」を、間違えたところで驚きはしない。

今年は例年にない早い時期の、短い梅雨で関東地方は「梅雨明け宣言」を出した。
ところが、TVなどの気象予報士などから疑問のコメントが出ていた。

まあインチキ素人お天気オタクの僕が見ても、梅雨の原因たる停滞前線、「梅雨前線」が消えていなかったからだ。
たまたま太平洋高気圧が強くなり、一時的に関東地方の前線が弱まったところで、気圧配置からして、再び強くなることは歴然で、なんで梅雨明け宣言を出したのか疑問だった

で、案の定関東地方は「梅雨が明けていない天気」になっているようだ。
梅雨明け宣言は、その週の週間予報を出す担当者が出すのだそうだけど、何でこんな間違いを起こしたのだろうか?。

しかし、今回の「お間抜け」に関しては、別の疑問を持つに至った。
それは「わざと、恣意的に梅雨明け宣言を出したのではないか?」という物だ。

当然これは何の物証も証言もある話ではない、「御伽噺」として聞いて欲しい。
本気で疑ってブログに堂々と掲載すれば、「名誉毀損」で訴えられてしまう。
特定の個人を非難しているわけではなく、あくまで「フィクション」としての話だ。

大体梅雨明け宣言をわざと間違えて、何の利益があるのかと考えるのがマトモな考え方だ。
だが今の世の中、天候により収益が左右される、それも莫大な金額が動く業種は多い。
たとえば「ビール」などは、梅雨明けが1日早まるとその夏の収益が数%上がるそうだ。
旅行業界なども天候に左右される。

そうなると、端役梅雨があけて、暑い夏になると市場が思い込むことによって、株式相場が大きく動くということになる。
もし、梅雨明け宣言を出す人間が、タイミングを見計らって関連銘柄を買っていたら?。
もしくはそういったたくらみをもった個人もしくは組織に「袖の下」を貰っていたとしたら?。

本当に「絶対無い」話なのだろうか?

僕は天気予報というものは、純粋に科学的な考証に基づいた結果を、「何のフィルターもかけずに純粋に」発表しているとは思っていない。
多分に、「社会的な影響」を考慮した、操作が加えられて発表されているのでは?と思っている。

具体的には、たとえば、週間予報などを観察していくと、週の初めの頃に、土日が完全に雨になる週間予報を出すケースはまれである。
悪くても「曇り」の予報を出すくせに、前日のお昼の天気予報辺りから「雨」に変わるという予報を数多く僕は確認している。
どう見ても雨になるような気圧配置なのに、何故晴れや曇りの予報を出すのか不思議だったが、良く考えてみると納得がいった。

もし、週の初めから「雨」の予報を出したら、あなたは屋外のイベントを中止したり、キャンセルしたりしませんか?。
となれば、その週末の旅行業界や、レジャー産業の収益が下がってしまう。
しかし、前日の、それもお昼過ぎに雨になるといわれても、交通機関や宿泊先を予約してしまった人は、予定を決行するしかない。
反対に日帰りのレジャーなど、お弁当を作る業者などは、前日に天気がわかれば、損害が少ない。

または、民間の収益に極端に影響が無いけど、その地域のイベントで、必要以上に人が集まって混雑することを阻止したい場合、前日夜まで雨の予報を出しておけば、かなりの人間がイベントに行くことをあきらめてくれるということもある。

まあそんな情報操作があるはずは無い「だろう」し、有っては絶対にいけないことだ。
だが僕は、気象庁という省庁に大きな疑問を持っている。
多くの省庁が、情報を閉ざし国民の目を欺いて、血税を食い物にして、組織の保全と、私利私欲に走っている。
気象庁だけが一人「清廉潔白」であると考える方が難しいといわざるを得ない。

こんな話を気象庁関係者が見れば、激怒するか、口の端を歪めてせせら笑うだけだろう。
だが、気象庁は、多くの国民が気象の専門知識に乏しく、悪く言えば「無知」なのをいいことに、「官僚の春」を謳歌しているのではないのか?。
そのあたりは国民の「軍事音痴」を食い物にしている防衛庁の背広組の高級官僚にも言える。
それらの批判に対して、胸を張って堂々とすべての情報を公開して、国民の審判を受ける度胸はあるのか?。

仮に民主党が政権をとる事に対して、霞ヶ浦は戦々恐々としているようだが、気象庁が一人蚊帳の外に置かれると思わないほうが懸命なのではないのかな。

今の民主党に官僚から国政を取り戻せるほどの能力も度胸もあるとは思っていないが、確実に「チェンジ」の流れが加速していくことは間違いなく、本当に国民のことを考えていない組織は、官僚は消えてもらうしかない。


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無限軌道よ、前に進め! [雑感]

目を開けば、耳を澄ませば、その先に待ち受ける「絶望」に打ち拉がれるしかないのか。
何をどうがんばっても、何も変わらない、変えられない、役に立たない無力な自分を、醒めた自分が攻め立てる
「愚か者よ、諦めてしまえ!」と。

社会に出れば自分が、「世界」というドラマの中で、通行人のエキストラにも満たない、しがない端役であることを否が応でも思い知らされる。
画面に出ればまだ良い方で、もしかすると裏方で、汗水たらして大道具をトンカチを叩いている一人かもしれない。

だけど、「世界」というドラマのエンドロールに名前は出なくとも、君がその釘を打たなければ、道具が倒れて、映画の撮影が止まってしまうかもしれない。
そう、自分は一人で生きている、所詮一人で孤独だと嘯いていても、「誰かと繋がっている」し、「誰かの為になっている」はずだ。

まして、「自分の人生」というドラマにおいては、あなたが間違いなく「主役だ」。
キムタクもロバートデニーロもあなたのドラマの主役は出来ない。
黒澤明もスピルバーグもメガホンを握ってはくれない。
あなたが世間ではどんなに「つまらない」とされている、歯車の一部のような役割であろうともだ。

だから、今世界がどの様な事になっていても、自分がどんなにひどい境遇にあっても、明日に何一つ希望が見えない状況でも、自分が、自分から、自分のドラマの主役を降板することを、僕はしたくない。

自分の意思の働かぬところで決められた映画会社が、自分の知らない人に書かれた脚本で、自分の知らない監督にカチンコを鳴らされても、本番を演じるのは「自分自身」であり、その演技には自分で責任を取らなければならないからだ。

そして僕は、「人生」というドラマの結末を、是非この目でしっかり見てみたい。
どんな結末であろうともだ。

そのためには今何が出来るのか?
さしあたって出来ることは「良くだべて、良く寝て、クヨクヨしないで、適度に運動する」事で、体と心の健康を維持して、「何があっても前向きで取り組む」ことしかないのかもしれない。

それで安心してしまうのは「卑怯者の思考の停止」かもしれないが、自分自身でどうにもならないことで、心を蝕んでしまう方がよほど恐ろしい。
虚構の快楽に身を任せて沈み込んでしまうことが恐ろしい。

もし、そんな恐怖に一人で肩を震わせている、そう、あなたはけして一人じゃない。
誰かが見ていますよ、誰かと繋がっていますよ。

車輪を回せ!前に進め!道は切り開け!




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若者が車を買わないモットモな理由 [車]

つい昨年まで、私は2台の普通乗用車を所有していた。
1台は通勤と日常生活の買い物などの「脚代わり」に使うコンパクトカーで、もう一台は週末のレジャーに使う為の、スポーティーなワゴンだった。

独身の自分にとって、2台の車を所有することは、経済的に「余裕綽々」ではないものの、生活を圧迫するほどではなかったので、気にも留めなかったが、一昨年辺りから、「どうも経済の雲行きが怪しい」と考えていたので、生活費を極力圧縮しようと、自分が好きで買った車を泣く泣く処分して、コンパクトカーも値段が付くうちにと、あわせて、1台の5ナンバーミニバンに買い換えた。

そのとき、改めて一台の車を保有する場合のコストを計算したが、自分はこんなにお金を払って車を維持していたんだなと驚いてしまった。

年間コストは、税金が39500円、任意保険が26300円、ガソリン代がハイオクで、燃費が良くて9km/ℓの車だったので約150000円、エンジンオイルが24000円、車検代が年割り約80000円、その他消耗品やアクセサリー、洗車などの雑費が35000円と、故障もせずに順調に動いていても、何と345800円も掛かっていたのだ!。
もう一台のコンパクトカーはそんなに掛かっていなかったが、年間にして約50万円ほどの費用が掛かっていて、月額にすれば4万円程と、残業代のほとんどが車に費やされていた。

僕の場合絶対車のためにローンは組まない主義だったのでこの程度で済んでいるが、これに購入費のローンが加われば、ほとんど車を乗る為に働いているようなものになってしまう。

車に対して熱い情熱や憧れがあり、車によって享受する豊かさに満足していれば許容できていた「生活コスト」ではあったが、そんな僕でさえ、「何故車を持つだけでこれだけのコストが掛かるのか?」と疑問を持ってしまったくらいだったから、大都市とその周辺で公共交通機関が発達したところに住んでいて、車が絶対に必要ではない人や、車以外のことに人生の楽しみを感じている人達にとって、これはどの生活を圧迫するコストが、許容できるはずは無いのではなかったろうか?

となれば、必要が無ければ車は買わないし、地方など生活の必需品である場合は「仕方が無く」最も維持費の安い「軽自動車」を買ってしまうのは当然の結果だと思う。

してみれば、メーカーや、財源が必要な行政などの思惑に乗って、高い車を買って、高い維持費を払い続けることの方がよっぽど不自然であり、その事に気づいてしまって、車にそっぽを向いてしまった若者の方が、よっぽど「正常」であるといえないだろうか?。

この問題はとっても根が深い。
自動車という物は、単なるメーカーの業績のみならず、その利権が、日本の産業構造や行政、政治に複雑に絡み合っているので、自動車産業の崩壊とは、下手をすると生活の価値観、幸福感の崩壊さえ招いてしまう深刻な事態を招いてしまう可能性が高いのだ。

僕個人的な意見なのだが、もっとリーズナブルに、環境や人間との親和性の高いモビリティが生み出され、楽しい自動車生活を送れない物かと考えてしまう。

そのためには、我々ユーザー自体が、自動車に対して抱く「価値観」「幸福感」を、従来とは別の方向に変えて行かなければならないのかもしれない。




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